◆偉大なる大プロデューサー、紀貫之!
漢字が伝来してから、日本の文字歴史が始まるが、
前回書いた通り、漢字もそのままではなく
絶妙に仮名へとアレンジされていきました。
ここら辺に、日本人の優秀さを私は見ます。
もう、ほんとうに、日本が、中国文化のようにならなくて良かったな~!
さて、漢字から万葉仮名を編み出したそのあと、平仮名と片仮名が編み出されますが、
平仮名は女性たちが使いこなし、片仮名は仏教の経典などに書き込むメモのような形で
発展していきました。
書では漢字そのままの、楷書を真、といい少し崩して行書といい
大きく崩して線描きにしたものを草書と言います。
それは茶の湯で使う道具の世界でも<真・行・草>という使い分けが生まれていきます。
・真は神仏や身分の高い人々やに茶を奉るときに使用する唐物陶器や道具など。
・行は、中国産の陶磁器をモデルとした国産の陶磁器類などで
・草はもっとも日本的な国産の陶器類や竹・木などの素朴な道具類です。
実はそれらの始まりのおおもとに素晴らしいプロデューサーがいます。
それが平安時代の紀貫之です。
紀貫之は、後醍醐天皇の勅命により古今和歌集を編集します。
その時、序を、平仮名で書くのです。
序は漢字で書かれた紀 淑望(きの よしもち)のものと、
貫之の書いた平仮名の二通りが作られました。
なぜ漢字と平仮名の二つの序がかかれたのかは謎ですが、
しかしここから中国模倣ではなく、
いよいよいかにも日本的精神世界の文化が立ち上がっていきます。
貫之が書いた、序の冒頭には
●『やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける』
とあります。
『よろづの言の葉』こそ、いかにも日本語の世界観であり、
それがやがては、幽玄や、草庵の侘茶の世界へとなり、
日本文化の底流に流れる精神(魂)というべきものの礎となりました。
紀貫之こそ、確信犯であり、
敢えて、古今和歌集において、
中国漢字文化世界とは異なる、
平仮名の日本世界を対峙させたグレート・エディターなのです。

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