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素敵な、すてきな、日本の美の世界!

いにしえの時代、和の国日本にとって

世界とは朝鮮半島とその奥にある中国がすべてであった。

だからこそ、漢字を輸入して文字としようとしたのであるが、

しかし和(倭)の人々は、

自己顕示の塊のような中華思想とはほど遠い文化をもっていた。

当時の人々は漢字を輸入しても、およそ漢字とは正反対の

賢く控えめで、慎ましく、ものの哀れや自然を愛でる風雅の文字、

<ひらがな>を生み出しました。

多分それは不可避的起きたことだと思います。

世界で最初の物語を作ったのも日本人であり、

その「源氏物語」に流れる本質

本居宣長は、もののあわれとしました。

そのものの哀れの感性も含めて、

とにもかくにも、紀貫之が古今和歌集を編集し、その序では

日本の言葉は「言の葉」なのだとしました。

まるでひらひらとか風に舞う木の葉のように

はかなく、素朴である日本の言葉は、漢字のように四角を括るのではなく、

時間と空間の間の隙(数寄)を、

風や光が通り抜ける優しさと流麗なものなのです。

それは、まさしく日本人の生きる機微こそが木や草や虫の、

そういう風なのであると、私は思います。

極論をいうと、万葉からふうてんの寅まで

そういう繊細さの中に、私たちは生きているのだと

思います。。

そこに流れているのは、緑豊かな国の

農耕民族としての機微ではないかと、思います。

だからこそ万葉仮名にはじまった日本の文字は

まるで川のようにその支流にたくさんの日本の文化をうみだしました。

いずれも、優雅ではかなく、ものの哀れや、諦観を底流におきながらも

しかししなやかに、柔軟に生き延びてゆく言葉世界の支流であり、

ひらがなと和歌の言葉の空間と時間がそのまま書になり、

能や茶の湯や立花となり、書院造、造園へと日本の空間を包み込み、

さらに江戸の俳句まで彩っていったと思います。

それらは、

勝気で猛々しく、他者を征服する、西洋文化とは異質であり、

他のアジア文化とも違う

まことに聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条の

「和を以て貴しと為す」の世界観であろうとそれが、

奥ゆかしいい日本人の気質となり、

ゆったりと大河のように流れていったと思います。

今デジタル文化が押し寄せる中、

時間を切り刻み、空間を切り刻み、言葉を切り刻む文化が蔓延してきて、

さらに精神もが切り刻まれているようで、

私はちょっと息苦しいなあ~と思います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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