「外は、良寛」松岡正剛著を再度読みながら、
また、ハッとする言葉を見つけた。
それは良寛の「書」の中に見られる、良寛の立ち位置というか、
良寛がいつもどんな気持ちで「書」を書いていたかを松岡氏が推察した時、
そこに見えてくるのが
「すぐに消されてもかまわない」という良寛の自我であり、
立ち姿である、というものです。
すぐに消されても、
ふっと消えてしまってもかまわない、という自分。
それほど、幽かで、自在である自分です。
自分への執着はもう、ほんの幽かで、
自分の書いた「書」も、すぐ捨てられてもかまわないし、
自分という人間も、すぐ忘れ去られてもかまわないし、
そこには、他者の意識の中に、自分を印象づけようという自我もないし
自分にしがみつこうとする自我もなく、
地面に描いた字が、次々に降る雪の下に埋もれながら消えてゆくのを
超然とみている良寛がいる。
字はまさに自分であり、自分がそのように消えていっても
何の動揺もない。
それほど自分を捨てている、良寛ですね。
もしかしたら、捨てるという能動的なものすらなく、
ただ生きるに任せている良寛かもしれません。
ただ、ここにはやすらぎがあります。
あゝ私も、ここまでたどり着きたいな~と思います。
73歳になっても尚、
自分の生き方を探している私は、
そう思うのです。

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