作り手はだれしも解をもっていなくてはならない!

是枝監督の作品は、一つだけ見ました。

そしてその一つだけ見て、あとは見ることをやめました。

一つだけ見たその作品は「誰も知らない」という作品で、

この映画は見終わった後に、味の悪さと不全感がありました。

何でもそうですが、作りてが、解(答え)を持っていない作品は

見終わった後に後味の悪さが残ります。

解(答え)を持っている監督や作者の作品は、

いくら内容がおぞましくても、また

作品の中にとりわけその解が描かれていなくとも、

観客は敏感にその<解>を感じ、

後味の悪さは残りません。

私は作品を作るなら、

作り手はだれしも<解>をもっていなくてはならないと

思います。(強固にそう思います・・・笑!)

是枝監督は、その後数々の賞を取られているので、

その後の作品にはもう<解>があるのかもしれませんが・・・。

世の中は<解>がない作品を良いと評価する傾向があります。

つまり、自分たちにつきつけられた不安や怖れの、その強い刺激が、

あたかも芸術であるかのごとき勘違いをするからです。

しかし私から見ればそれは、

作り手と、鑑賞する側、双方の自我の汚れがによって起きる共鳴現象だと思います。

つまり自我のアイデンティティーが解決されていない人々。

自己アイデンティティーが、スクッと大黒柱のように立っていない人々が

それに反応するのだと思います。

特に寅さん風にいうと、

インテリゲンチャーにそういう人はごまんといます。

※ 大黒柱のように立っている人は、そもそもそういう映画を見ないかもしれませんね・・・。

良い作品は、見た後に不全感もなく、すっきりとして、

なんとなく楽しいです。

ここにすべての答えがあると思います。

追!

映画「花のあとさき」は、余計な物ばかり付け加えている映画ではあるが、

しかし、ムツばあちゃんはなんて素敵なんだろうと私はあこがれる。

それだけがキラキラと煌めいていた。

こぼれるように咲いています。
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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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