今、日本には74万人のニートと138万人のフリーターがいます。
なぜ、彼らは定職につかないか。
そこには、戦後の日本という国において
若者たちに夢や希望を与えてこなかった戦後教育の歪みがあります。
夢と希望とは、ふわふわした蜃気楼のようなものではありませんよ。
彼らが生きる場所として、彼らがそこに人生を掛けたいという意欲を湧き起こすような
現実的で、手に入ることが可能な世界です。
自分という存在がそこで自分がイキイキし学び、成長できる世界です。
Aさんは少なくとも小学生の頃は優秀な生徒であり、中学まではそうであり
親の期待を一身に担う子供であったと思います。
戦後日本に入ってきたデモクラシーの中、
階級性が崩れ、大衆社会の出現により、そこには
訳の分からない上昇志向が生まれました。
朝鮮戦争を機に、高度経済成長を遂げる日本のなかに、
生まれたエリート志向です。
それがいわゆる団塊の世代の子供たちにのしかかつた
いい大学に行くと出世でき、一流企業に就職できる、
という根拠のない幻想です。
Aさんの世代の若者は、そういう親の身勝手な夢想に、
大切なその子供時代を奪われました。
大切な子供時代は、自由で奔放に遊びほうけることもできず、
いつも頭の隅には勉強があり、
それも、それもですよ、
子供が自分で自発的に見つけ出し、意欲的に学ぼうとするものではなく、
上から与えられた義務としての勉強です。
さらに受験勉強とは、
子供の創造性を刺激するものはなく、
●すでに答えのでているものを
勉強するのです。
ついでに書きますが、もし受験ということがなくなったら、
子供のたちのストレスは格段に減るでしょう。
イジメも減ると思います。
子供のたわいのない喧嘩やイジメはあるかもしれませんが。
子供が自殺にまで追い込まれるようなイジメは無くなると思います。
Aさんは高校生の頃から次第にその優等生的神通力が利かなくなり、反対に
親や大人たちの確執の中、大学に入った時には親が離婚してしまいました。
男女の愛憎で争い合う親や大人たちは、自分達の感情の事ばかりにかまけ、
そばで一部始終を見ている子供の目には、気が付きませんでした。
いわば、子供が自分の人生や社会へ出ていくための基礎を作り、
その精神形成の時に
大人の醜い争いや不和やそして、
大人の期待のために頑張った自分の能力が、崩れ落ちていく現実の中で
もうお分かりですね、
そこに希望や夢なんか生まれるはずがない。
そして、就職口を探してたAさんに、冷たい就職氷河期がのしかかります。
たまたまそういう時期に、親の離婚騒動が重なったからかもしれませんが、
私には、若者たちの多くが、子供時代の自由と創造性を奪われ、
●自我と外的社会とを統合してできる自己世界を作り損ねたように思います。
そこに生まれるのは無力感と自我の喪失です。
Aさんも、自分が何が好きかわからない、何をしたいのか、
何を職業にしたらいいのか分からないといいます。
ただ、自分の中の手ごたえは、漫画を描いている時や
アニメを見ている時、とゲームをしている時だけで、その時だけが
自分が生きている実感がある、というのです。
もう、こんな世の中なんか、どうでもいいや、というとき、
自分だけの場所が、漫画、アニメ、ゲームなのです。
それをしている時だけ、そこに自分はいる、ということを確実に味わえる。
だからこそ、彼女は親のすねをかじり、
できるだけ世の中とは交わらず、
昼夜逆転の中、漫画とアニメとゲームの中に埋もれていったのです。
実は私は日本の漫画やアニメを高く評価していました。
それらは受験一色に塗られている学校では教えてくれない、
●人間の大切なことや、●多様な幅広い世の中の知識を
子供が漫画で吸収している。
ねじり鉢巻きをしたプロの漫画家さんたちが
子供を喜ばすために懸命に頑張ってくれている。
だからこそ、我が家の子供たちは漫画見放題、ゲームし放題にし、
ついに息子はゲームガイドという職に就きました…笑い!
戦後の日本の子供たちに夢を与えてくれたのは
手塚さんや石ノ森さんたちの漫画世界でしたからね。
テレビのアニメも子供たちと一緒に見ました。
ところがAさんのことから、今までの漫画とは違う、変形した、いわば
奇形化した漫画世界が生まれていることを知りました。
びっくりしました。
それを次回書きます。
つづく。

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