ガラス戸の中より、日本はこれからどうなっていくのか、その4,妄想をもてあそぶ若者たち

或る時、若い女性たちから

この漫画を読んで感想を聞かせてほしいと或る漫画本を

渡されました。

読んでみて、びっくりしました。

それがBLものと言われている本です。

それを読んで即思いだしたのは、ヘルマンヘッセのいわゆる青春小説、

「車輪の下」や「デミアン」のことです。

まさしくこれはヘルマンヘッセの小説の亜流だとわかりました。

しかもなんとも巧妙にアレンジされていることか。

それは寄宿舎のある男子学園での男子どうしの恋愛劇です。

現実の男には愛想がつかした女の子が、自分や仲間を男性化して書く漫画だそうで、

それはボーイズラブ、つまり、BL呼ばれる漫画ジャンルです。

それ愛読する女子たちは、腐女子(ふじょし)と言うそうです。

腐女子は三次元、つまり現実の生身の男性との恋愛をせず、

二次元の男、つまり漫画やアニメの中の男を、愛するというのです。

自分の妄想の中でそういう男子を描き、それと架空の恋愛をする、というのです。

あ、何とも不自然で歪んだものです。

私はそのことをブログで書こうとしたら、彼女たちに慌てて止められました。

つまり、私がブログでそれを批判すると、そこに集団攻撃がかかる、というのです。

いわゆる炎上でしょうか‥‥おかしいね…苦笑!!

それほどBLは社会現象であり、そこには、攻撃的な尖った女の子たちが

沢山いるということらしいです。

なぜ、そうなるかには、

彼女たちが生の青年たちとの恋愛をあきらめたり、

自分に容姿などのコンプレックスがあって恋愛にふみきれないとか、

育成の中での心のトラウマとか、いろんなことがあるのでししょう。

腐女子というのは、ちょっと頭のいい女の子たちが多いのだそうです。

また、男性文化が優先される世の中が

軽薄極まりない女性像を求められたり、女性蔑視や差別があったり、

女の子たちが、世の中に幻想を持てないことも大いにあると思います。

そして現代ではもう日常茶飯になった親の離婚や不倫などの男女の増愛などに、

もう辟易していることもあると思います。

女はどう生きりゃ~いいんだっ、という

彼女たちの思いにも一理あるとおもいます。

だって、世の中、あまりにも軽薄すぎるし、男文化そのものが、

軟弱になってしまいましたね~…苦笑!

しかし、それはあくまでも、妄想の中に逃げむ現実逃避であり、

さらに、妄想は一つの精神病理です。

妄想世界と、現実世界との●バランスが取れていないと、

つまりあくまでも妄想は仮想の嘘世界だ、という、

しっかりとした自覚や認識がないと、とんでもないことになります。

しかし、残念なことに、

現在では、妄想世界ということがしっかりと検証もされず、

一つの文化として若者の漫画やアニメや映画の中へと、

浸透していきました。

異次元や異世界や、人格が入れ替わるとか、テレパシー人間とか、超能力とか・・・etc。

かなりいかがわしいものが、

いかがわしいものとして扱われなくなってしまっています。

そこに正義や倫理や生きる美意識までが脚色され、

人々がそれに熱狂とまではいかないでしょうが、

感動している。

ただね、

妄想を甘く見てはいけません。

しかしAさんも含めて、

若者たちは妄想を甘くみているように思います。

妄想の怖いところは、脳がいつの間にか妄想を現実化することです。

つまり妄想が妄想ではなくなり、

あたかもそれが本当であるかのように、脳が錯覚をし始めるのです。

現実と妄想の境目が無くなっていくのですね。

あれほど古代社会はロジックで科学的であったのに、

次の中世で起きたことは、魔術や悪魔や迷信や死後の世界や、神秘の世界などが

そのまま真実であるかのように信じられていったのです。

あの魔女狩りや魔女裁判なども、当たりまえの市民感覚としてありました。

しつこく言っておきますが、古代社会では、あり得ないことが、次の時代に

起きてきたのです。

まさか、日本の社会が中世のようになるとは思いませんが、

京都アニメーションで起きた事件などは、

まさに、自己幻想の妄想が被害妄想まで拡大したのではないかと

思います。

なぜ、現代の若者たちが妄想にはまるのかは、

現代社会にこそ、その根があると思います。

次回はそれを書いてみます。

         つづく!

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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