シリーズ「ガラス戸の中より」これから日本はどうなっていくのか、その8政府行政に依存しない!

おそらく、こんなことを考え、言う人は、あまりいないと思うが、

ただ「知価革命」を書いた堺屋太一氏も同じようなことを

述べられていたので、やはり、そうかな~と思う。

それは日本人の国家、行政への依存心の高さです。

それは決して良いことではない、と私は考えます。

古い話で恐縮ですが、

私が大学生の頃に、都知事選があり、

政治学者の美濃部亮吉氏が立候補し、当選しました。

その時、美濃部氏が掲げたのが<福祉>という政策でした。

この時初めて日本人は<福祉>という言葉を知ったのではないかと思う。
(間違っていたらごめんなさい。)

私は東京都民でもないし、選挙には関係ないのですが、

この福祉という行政サービス、いろんなことを無料化する、という政策に

すごい違和感を覚えました。

なぜなら、それまでの日本人には、

国家行政には頼らない、自立心があったように思うからです。

それがこの<福祉>という甘い言葉でなし崩されて、

いつの間にか行政への依存がぶりかえすのではないか、という

危機感を覚えました。

私が生まれたのは戦後2年目です。

当時は戦争で国家というものが崩壊し、

その混乱の中を人々がもう自力で生きていた時代です。

そんな中で成長し、青春を迎えていた私の意識は、

日本は、国家のために戦争をし、多くの国民を犠牲にした。

しかしそういう国家が崩壊した時、人々は

貧しいけれど、食べていくためには国なんかあてにせず、

自力で生き延びようとする逞しさが生まれたと。

すくなくとも、そこには、国民ひとりひとりの

自立して生きる気概のようなものがあったと私は

感じていたからです。

そしてこの美濃部氏の福祉政策は、

戦後22年の間、

せっかく人々が国家から自立して生きているのに、

また国や行政に微妙に依存させるということに

戻るのではないか、という懸念を持ちました。

これはもう、はっきり覚えています。当時20歳の私です。

それから、もう何十年もたちましたが、

今ではもう人々の頭の中には国家とか行政は

国民への福祉やサービスをするもんだ、という固定観念が浸透していったと思います。

たしかに人々は懸命に働いて税金を納めているのですから、

当然といえば当然のことです。

ただ、今でも私は

<国>は国民のためにいろいろ奉仕、

サービスしてくるのが当然という意識や依存は

あやういよ、と思います。

むしろ国家はうっかりすると、ぼやぼやしていると、いつの間にか国民を

利用してしまうよ、と。

堺屋太一氏は「知価革命」のなかで、

政府依存型の心理と体制とが、自由な発想と新しい技術の導入を妨げるとも、

書いておられる。

これはとても大切なことで、政府に依存するのではなく、

国民一人一人が自立し、そのの自力を発揮することの方が

とても大事だと私は思います。

今回見ごとに国は馬脚を現したと思います。

オリンピックのためには、国民を犠牲にするとまでは言いませんが、

後回しにする、という強引な姿勢です。

しかし、だからこそ、もう政府、行政のいいなりにはならない、という人々も

出てきました。

先日のテレビで、豊洲市場で魚の中おろしをしていた人々が、

コロナで廃業まで追い込まれながらも、

車に魚を積んで、町の中で引き売りを始めたそうです。

こういうことがとても大事だと思います。

日本人はどうしても、集団依存で生きてしまいます。

でも、本当はひとりひとりの中には、自力のエネルギーがあり、

政府、行政がどうであれ、それを乗り越えていく逞しい国民になってほしいと

私は願います。

他に依存せず、

●自力を発揮して、自力で人生を切り開いていく、ということこそを

気概にもって、日本の若者たちも、人々も頑張ってほしいです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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