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●美しい日本、三島由紀夫、大島渚、小川紳介の世界より 序

作家故堺屋太一氏によると、日本人は唯一絶対の永久なる正義を信じない国民であり、

その時その場でみんなが正しいと思う事が正しいことになり、正義になり倫理になる。

極端にいえばこのお国では、みんなが同意すればそれが正しいことになるらしい。

だとすれば、私なんぞ、いつも正義からハズレっぱなしの人間で、

そういう生き方ばかりをしてきたように思う。

だから、

これから私が書こうとしている、三島由紀夫、大島渚、そして小川紳介についても

およそ世間の見方とは大違いかもしれません。

ただ女としての私と、私の直観を以て見えてくる風景を書くのみである。

なぜこの三人を書こうと思ったかの動機はなんでもない。

今年のキネマ旬報の文化映画ランキングで、

1位が大島渚の息子さんが監督した映画、

4位が、三島と東大全共闘の映画で、

それに連鎖反応する感じで小川紳介監督の映画を思い出したからです。

その時、日本の文学界も映画界も、

いまだに大島渚や小川紳介の世界を超えられないのかな~と

直観したからです。

今、映画「どこかに美しい村はないか」続編を撮り始めた

能勢組撮影隊に合流するために乗った東北新幹線の中で思い出したのは

小川紳介監督の「日本古屋敷村」のことで、

その時、三島、大島の対極に小川紳介がいる気がしたからです。

三人に共通するのは、いずれもその作品の底流には

「美しい日本」がある、という事です。

今私の頭の中をぐるぐる巡っているこの三人の男たちをモチーフに、

そぞら浮かぶアレコレを書いてみようと思います。

まずは三島由紀夫から。

●美しい日本、三島由紀夫、大島渚、小川紳介の世界より

      その1、三島由紀夫

私は三島由紀夫を見かけたことがある。

今から50数年前、私がまだ大学生の頃、

友人の誘われて、たまに水道橋にあった宝生流の能楽堂へ

能を見に行っていた。

その時三島由紀夫も来ていたのである。

緑色のジャケットをダンディに着こなしていて、

気障な男だなあ~と思いました・・・笑。

今から思うと全身からオーラを放っていたような気がする。

その時の能の演目がなんであったかはちっとも覚えていないのに、

三島由紀夫の姿は今でもありありと思いだせる。

74歳を経て今、少しだけ三島の気持ちがわかるような気がするのは、

彼が愛した日本とその古典の文化は、あまりにも美しく愛おしいことが

今の私には切々とわかるからである。

戦後、アメリカ文化が入ってきて、敗戦国である日本は一蔽されていった。

それに口惜しく臍を噛んでいた三島の気持ちが、今はよくわかる。

肉食のドンチキアメリカ文化に比べ、

日本の、つまり米という草の実を食べてきた日本人の文化は、

おおらかで、雅で、流麗であり、

むきだしの自己主張をするアメリカ文化に比べ、

自己を布で包み込んでいるに謙虚さと、端正さがある。

※アメリカ文化も別の美しさがあり、黒人ブルースの歴史を知らないと
お話にならない。それは私のブログで<ロックの世界>で
書いてあります。https://hashira.exblog.jp/3386491/

三島の小説は、言葉の一つ一つが聖水で磨かれたような完璧性があり、

佇む文章がまさに日本的秩序の中で美しい。

だが、しかし、

私は全作品を読破していないので、なんとなくしか言えないのですが、

彼は個人から抜け出ていないような気もする。

つまり天下国家を論じた三島の自我世界は、

極めて個人的な思い込みで

閉じられたいたのではないかな~、と私は思うのです。

彼は命がけで小説を書き、そして日本と日本人を鼓舞するために

自決したのですが、

それは私から見ると、必死に日本の美しさを訴える

<平岡公威青年>の正義と美意識の範疇から、

抜け出ていないような気がする。

彼が理想とする天皇支配の国家と文化は、

日本の貴族文化と武士の文化の流れの中だけで語られており、

分数に例えると、日本の分子の世界であり

その底辺、つまり分母を担った農民や女の存在は

彼の意識外にあり、意識さえもされなかったのではないかと、

思う。

彼の熱狂する日本の伝統文化世界は確かに、

天皇制の基に貴族、天上人達の気品に満ちたや重厚なものではあるがしかし、

と同時に底辺で日本の歴史を作ってきた、

泥の中で稲を育て懸命に戦ったきた

古代、中世の無名の人間達には、視線がいかない。

彼にとって、日本の分母は視覚外ではなかったかと

私は思う。

ただ、三島が大切にし愛した古事記、万葉から始まる日本の伝統文化の世界は

なんと素敵か。

そこにはいつも歌(和歌)の世界があり、

それややがて能になり、庶民に降りて歌舞伎となり、

様々に日本の文化を形姿していった。

その結果、たとえ壮絶な争いの中でさえ、

心を鎮めて和歌を謳う趣と振る舞いの日本人の

極めて特異な文化を作った。

そんな日本人の感性の世界、美の世界、そして趣の世界を、

私も愛おしく思う。

もし三島が、もう少し、

自分の中に起きる深刻さや美への完璧性を突き抜け、

突き抜け通してこそ、見えてくる別の世界。

つまり

その緊張が解けた後に広がる、

広々とした、つまり富士正春の世界観のような、

農村ののどかさや、したたかさ。

それがどこから来るのかなどに意識を向けていたら、

確かに彼の張りつめきった美の世界の一角が崩れるかもしれないが、

しかし、もう一つの感動の世界が開いたと思う。

もし三島由紀夫がもう少し生きのびて、

その分母世界にも、眼差しを向けたならと思うと、

三島が途中で下車してしまったそのことが本当に惜しい。

次は三島と同じような、

日本の分子の世界の美を映画にした(と私は思うのであるが)

大島渚について書こうと思う。

          つづく

まだ咲きつづけているよ、シクラメンの花が。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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