●美しい日本、三島由紀夫、大島渚、小川紳介の世界より その3,小川紳介

日本は稲の国である。

序でも書いたが

映画「どこかに美しい村はないか」続編を撮り始めた能勢組撮影隊に

合流する道すがら、

三島や大島のことを考え、そして思い出したのが、

小川紳介監督の「日本古屋敷村」のことで、

三島、大島の対極に小川紳介がいる気がした。

私の眼には、三島は日本の美しい文化世界の虜となり

妄想した。

大島渚は自分の自我の官能世界を突きつめ、

その根底には日本の官能の美の絢爛たる文化が、

大木のように横たわっている。

そしてその対極に、

小川の追求する稲の国の文化がある。

日本の地民として歴史には登場しないが、

古代の貴族文化の下、泥の底地を這いつくばってこの国を支えてきた農民がいる。

それは稲という作物を食糧とする民族で、

この稲と農民の歴史こそ、日本のリアリズムの歴史でもあると私は考える。

以後は、稲を作り続ける人々の文化を分母とし、

その上に貴族や武士、町民の文化があり、それを分子の文化と比喩する。

小川は、この分母の人々を以て日本人とは何かを突き止め、

切り開いて見せた。

日本の文化の分母の源流を

農民の胸深くに封印された自我世界を開くことにより

それを、明かそうとしている

彼は14年かけて山奥の農村に住み込みこんだ。

つまり農民がその重い口をひらくためには、

14年の同化を必要としたのである。

そして自らも稲の生産者となることで、

田の土にこだわり、稲の根にこだわり水にこだわり、

日照にこだわり、山瀬(シロミナミ)にこだわった。

なぜならその稲の文化の中にこそ、リアルなる日本があるからだ。

三島も大島も日本の分母を描いたのではなく、分子の世界を描いた。

つまり分母の上に咲いた花の方を描いたのだ。

しかし小川は分母=根を描いた。

その分母である農民の世界はまさしく日本という国の実相である。

日本の稲作の始まりは、現代では縄文期ではないかと言われだしている。

日本の天皇制が始まるずっと以前から日本の民は、

水田の中でもがき、腰を曲げて早苗を植え、雑草を掻き、

稲という草と格闘した。

田んぼも畑も、重労働の中、悲しみも喜びも怨念もが、

鍬や鋤を持って沈黙の土中へと、すきこまれた。

その農民の苦しみや、果たされなかった怨念は土中で発酵し、

熟して花を咲かせ、やがて稲の穂となる。

そういう歴史が映画「日本古屋敷村」の日本の農村の暮らしであり,

生きざまであり、

稲だけでなく、お蚕さんや、炭焼きであり、

息子や夫を戦火に送りながらも働き続けたばあちゃん達の姿である。

清少納言が「枕草子」冬の章で語る炭も

この分母の人々の手で生産されていた。

つまり、雅の裏にはいつもこの人々がいたのだ。

苦々しい底辺を背負い、生きてきた人々の分母の上にこそ

霞のような華やかな美の貴族文化が咲いたのであるが、

それは幻想の文化でもある。

実は、三島も大島も幻想の文化世界を浮遊していると私は思う。

だからこそ、彼らの世界は限りなく花が咲いていく。

しかし小川はその幻想には惑わされなかった。

映画「日本古屋敷村」には、分母を生きてきた人々の美しい世界が描かれる。

それは華やかでも雅でもないがひっそりと或る瞬間に開く稲の花のように

慎ましい。

そして稲の花を咲かす老婆たちはなんと美しいのであろうか。

ほんとに、美しいのよ・・・。

私はなによりもこの老婆たちに感動した。

尚私が強く願うのはこの映画を、反戦とか、左翼的被害者意識の短絡で見ないでほしい。

なぜなら、そこには苦を突き抜けた楽天があるからだ。

軍隊でラッパ吹きをしていた鈴木徳夫さんの語る思い出は、

いとも朗らかに語られる。

軍隊で、上官の靴磨きをちょっとばかり手を抜いたため・・・苦笑!

靴底に馬糞が残っており、

その馬糞がついた靴底を嘗めさせられた思い出を、

徳夫さんは面白そうに語る。

俺は百姓だから馬糞なんかなんでもない、と語るのである。

そこにこそ、農民のいぶし銀のような逞しさと楽天がある。

戦死した息子に与えらえた当時の国債は一銭の金にもならず、

額に入れて飾っておくか、と婆ちゃんは寂しげに苦笑する。

もう一度言う、日本は稲の国である。

14年の年月をかけて撮ったこの映画こそは、

私が今まで見てきた数々の映画の中で、一番だと思う。

ダルデンヌ、イ・チャンドン、アンゲロプロスよりも一番だと思う。

次回は、総論を書きたいと思っています。         つづく!

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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