●美しい日本、三島由紀夫、大島渚、小川紳介の世界より、総論。

以前にも書いたが、

私は薄っぺらなフェミニズムやジェンダーが好きではない。

しかし私はいつも女である自分を底に据えて、世の現象を見る。

それと同時、私の立ち位置は、左でも右でも、中道でもない。

そういう風に何かへ偏る、という事が

大嫌いなのである。

どこかへ偏った瞬間から世界は縮まってしか見えてこない。

いつも、全体を網羅してみたいと心がけている。

この度三島の小説「金閣寺」を読み返した。

その中に何度か「老師が女遊びをする」という文言があった。

「女遊び」という、この言葉を使ってしまうところに、

思わず三島の稚拙さを見る。

完璧を目指す三島の、上手の手から水が漏れたのであり、

女は、遊びものではないよ。

たとえ娼婦を例えるにしても、

そういう言葉が通俗的に使われていたとしても、

作家として言葉の選別の厳しさに欠ける。

例えば漱石も鴎外も決してこういう言葉をうかつには使わなかったと思う。

なぜなら彼らの無意識の中に、女は遊びものではないからだ。

女性に対するジェントルがあるからだ。

しかし三島はうっかりそれを使ってしまった。

そこには彼の無意識にある、

女性に対する上から目線があったからではないか、と

私は思う。

もしかしたらそれは三島の師匠の川端康成にもあり、

だからこそ、彼らは女性を幻想化できるのである。

つまりリアルに現実に向き合い暮らしていたら

女の本性が分かり、

そうは簡単に女性を幻想化できなくなる。

川端の自殺も

そこらへんと関係あるのではないかとも思う、深堀りはしないが。

太宰に至っては女に対する甘ったれ以外

の何物でもない。

すごいね、とうとう田下さんも本性を現してきた…笑い!

ただね、残念なことに、日本の文学界も映画界も男性の世界なんだね。

まあ、それをとやかく言うつもりもないし、

私自身、男などとっくに超越しているから

大したことではない。

しかしそれに比べ「日本古屋敷村」でのばあちゃん達は、

ほんとうに美しかった。

日本の女の誇りです。

是非この映画を若者たちに見て貰いたい。

そしてさらに言及したいのは、

私は決して、社会ヒエラルキーの序列や

イデオロギーや、正義や倫理で人間を見ない。

良くも悪くも、作家として、

人間を清爽に見たいと思っている。

内実をしっかりと受け止めたい(見抜きたい)と

思っている。

その上であえて今言うなら、

私がこの日本で尊敬できるのは上皇昭仁夫妻である。

なぜなら、彼らこそ、戦後の日本において、

自分を捨てて、象徴天皇という役割を全うした人間であるからだ。

彼を一人の人間として、見る。

こんなに日本とその民のために自分を捨てて生きた人を

私は他に知らない。

※役割を成し遂げることが、どんなに大変なことか。

政治がどんなにアホでも、この天皇夫妻が人々を束ねているんだね、実は。

上皇夫妻はその生涯をかけて太平洋戦争の戦地を隈なく慰問し、

供養の祈りを捧げた。そして

すべての戦地を慰問し終わり、その役目を果たし終えて退場を願いでた。

また、

或る時遊園会で、将棋の米長邦男が天皇に対して、

「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」という

おべっかを使った時、昭仁天皇は即

「強制になるということではないことが望ましい」と切り返した。

先の戦争を骨身に沁みて後悔し、さらに天皇が政治に利用されるのを

断じて警戒し、

戦争の放棄を一番希求していしているのが、

昭仁上皇であると思う。

その人間性に私は打たれ、尊敬する。

そして左翼や右翼の人間から見ると、

とんでもないと思われるかもしれないが、

その昭仁上皇の地続きに、

あの日焼けした古屋敷村のばあちゃん達を見る。

私はこういう風に人間を観る。

それは誰にたいしても、その距離でいたいと思う。

そして日本という国は、この天皇制の元に花開いた文化=分子の世界と

米を作る農民の中で伝承された文化=分母世界との両輪で

歴史を生き抜いてきた。

どちらともが

私には眩しく、美しい!

しかし今、明治より工業社会を目指した日本は、いつの間にか

その両輪のアイデンティティーを見失いそうになっている。

これから突き進むデジタル社会は、

もしかしたら、この両輪も壊れていくかもしれない。

米作りの歴史は重労働の連続であった。

だがしかし、だからこそ、そこに忍耐強い国民性が生まれ、

軽々に尻軽には動かない慎重さが築かれてきた。

ズルさを含めて

その保守の良いか悪いかを別として、

稲と共に生きることは、

理不尽な気候を受け入れなければならない。

そしてが何あっても最終的には乗り越えていくあきらめと楽天を生んだ。

戦後の日本の高度経済成長を支えた中小企業のおじさんたちも

元は集団就職で出てきた分母の世界の住民であり、

さらに農家の出稼ぎの父ちゃんたちこそが

日本の近代化の土木工事を担った。

まさに東京オリンピックの功労者は、そんな人々なのである。

とかく農民を描く映画は暗いヒューマンドラマになりがちであるが、

彼らは、縄文以来の日本の歴史を一貫して支え続けた

脅威の人々でもあり、おてんとうさまの子でもあるのだ。

そして

能勢監督と私は、実に美しい田園の農村の映画を撮った。

そこには紛れもなく、強い、人と人の力がある。

最後に、

いま、この歳になって私は

日本の文化を美しいなあ~と眺めます。

万葉集も、古今集も、その和歌の世界は美しい。

日本の始まりには、

素直でおおらかな大和の言葉があり、

それは万葉人の心そのままだとも

思います。

そして

日本の歴史はずっと和歌の言葉で綴られてきた。

こんな国は世界のどこにもない。

なんて美しい国かと思う。

三島由紀夫も大島渚もそして小川紳介も、

みんなこの美しい日本の風土の中でうまれ、育ち、愛し、

それぞれが、自分の役割としてその足元を掘った。

三島は国家に、大島が芸術に、そして小川は

日本の民の世界へと

斬りこんだ。

果たして次のデジタル世界へ斬りこむのは誰であろうか。

そういう奴はいるのか、いないのか。

美しい日本と三人の男の話は、

これで終わります。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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