私は弱者という言葉は大嫌いです。
なんでもすぐ反対と拳を高くあげて声高く怒鳴る輩も、嫌いです。
私は沈黙の方が好きです。
そんな私が大切に思うことを、ワイエスは絵の中で語る。
彼の絵はその眼差しが、社会の底で苦くいきる人々に対して優しいです。
彼が描く人々はみんな、
ワイエスのその、ささやかな眼差しの中で、描かれる。
それは決して画面の色彩のパワーや筆の踊りではない。
それは、
画面の奥の無音のリズムや、
語りかけてくる詩情の中に湧き起こる、静かな感動で、決して荒々しくない。
その絵をみている人間の、そのひとりの世界にだけ響く躍動でもある。
ワイエスの絵は過去が息吹いている。
過去が息吹ながら私の孤独の中に息を吹き込む。
その孤高の感動が、ワイエスの絵を見ている人間に蘇る。
他者に踏み込まれないように閉じられたその秘の世界が、
自分とワイエスとの閉じられた時間の中で、密かに対話していく。
色褪せた旧い扉、風に舞う新聞紙、錆びたドアノブ、窓の風に舞う、ちぎれそうなカーテン、
家の陰のバケツ、そして、犬。
鮮やかなパッチワークの上で、死んだように眠る黒人の老人、いや、眠るように死んでいる彼。
おませな黒人の少女キャシーが
小学校の入学式のよそ行きの服を着せてもらい、恥ずかしそうに、はにかんでいる。
ある友人がワイエスの絵について、
「どうしたらこんな眼差しが持てるのだろう」と言った。
その言葉が今も鮮明に私の中に残っている。
◯
若き日に古本屋でワイエスの「クリスチーナ」の画集を見つけた。
それは限定本でかなり高額であった。
散々逡巡した結果、その本を買い、懐に温めるよう抱いて帰った。
今老いて本は殆どゴミとして処分しようと思っている。
しかしこの画集だけは処分し難く、水彩絵を描いている憲雄氏の親友一憲ちゃんに、貰ってもらった。




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