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片付けられない原因の一つ<自他の分離>についてその1、

「自他の分離」とは、基本的には親と分離することで、

他人と自分との違いや境いめがきちんと自覚できる事です。

自他の分離ができていると、他人と自分との違いを明確に意識できるようになります。

という事は、いわゆるメタ認知能力が上がる、という事です。

メタ認知とは、自分を客観的に捉えたり、物事を、俯瞰的に見る能力です。

反対に自他の分離ができていない人は、

常に他人と自分をごっちゃにしてしまい、

客観性が非常に乏しい人です。

彼らは、なんでもかんでも、主観の延長にしか理解できません。

平たくいうと、何でも自分の物差しで測ってしまう人です。

いわゆる、

養老猛氏のいう「バカの壁」から抜け出られない人のことですね。

ところが世の中で圧倒的に多いのはこの自他の分離ができていない人達です。

その人達は、ひとりひとりが自立しておらず、ゆえに、

・社会の同調圧力に負けたり、世の風潮に流されてしまいます。

では、どうしたら自他の分離ができるか、というと、これが難しい。

その一歩はいわゆる親離れからはじまります。

他の動物と違って人間は親に依存する育成期が長いため、

どうしても親との一体感の中で、成長してしまいます。

まずは、親と自分とがまったく別の人間であるという気づきが必要ですが、

それが現れるのは、反抗期です。

反抗期は、親から分離しようとする子供の自立の始まりです。

激しく親に反抗する。

これはね、

反抗が激しいほど、分離ができていきますが、

反抗が中途半端な場合は分離も中途半端になってしまいます。

そして残念ながら戦後教育や子育ては、この反抗期の重大さに対する認識に欠けていました。

だから日本では、

親と子の密着がひどいまま、青年期に入ってしまう若者が圧倒的に多く、また、

受験という大義の為に、反抗期を逃した若者も、たくさん生まれてしまいました。

ユング心理学では心理の一つの原型として<グレートマザー>というのがあります。

<グレートマザー>とは、一方では子供を慈しみつつも、

一方では子供も喰い殺してしまう母性本能です。

私は子供の為と献身的なふりをしつつも、

自分の安心の為に、自分のエゴの為に子供に心理介入し、

子供に依存したり、逆に、

子供を自分に依存させる親を何人も見てきました。

これは母親だけでなく、そういう父親も沢山います。

例えば昔の朝ドラの「おしん」のように、子供時代から奉公に出されたり、

親が忙しく、子供なんかには構ってられない時代は、

「自他の分離」がごく自然になされていきますが、

今は、世の中が豊かになり、親も暇があるために、

子供への関心が深かったり、教育熱心だったり、

いわゆる子どもへの執着が過ぎれば過ぎるほど、

子供は自他の分離ができません。

子供がほったらかされていた昔に比べて現代は、

自他の分離ができていない若者だらけなのです。

今若者達の知力が落ちているのは、

あまりにも子供達が大人に干渉され過ぎているのも一因だと思います。

心理学では、「自他の分離」がなされる条件として、「死と再生」のプログラムというのがあります。

これは、今までの自分を全否定して(今までの自分が死に)

新しく生まれ変わる、という心理プログラムです。

いわば親と一体化した自分を捨てて、新しい自立した自分に生まれ変わるというプログラムです。

自分の中の親を退治するワークでもあります。

育成過程で親との密着で、

親の自我と子供の自我の混同が起き、

子供自身の自立的な自我が育たず、

親との団子状態になってしまうと、

子供はいつまでたっても親との共依存からぬけでられません。

だから親を離れようとすると、

分離不安がおきてしまうのです。

そもそも人間は、生まれた瞬間から未知の世界を生きなければならないし、

弱肉強食の動物時代のなごりで、根拠のない不安を、持っているものなのです。

しかし、その不安も、人間が赤ん坊からだんだん成長して行く過程で、

不安を乗り越える経験を積み重ねるごとに、不安が克服されていきます。

子供が賢くなり、逞しくなる為には

たくさん、たくさん

子供自身で経験することがどれほど大事であるか、測り知れないのです。

だから私は、子供は出来るだけほったらかしにしていなさい、と口を酸っぱくして、言うのです。

その大事な、大事なプロセスを、

親が奪っているのが現代です。

「死と再生」のプログラムは、そういう自分の中に巣くってしまった親と、

自分を心理支配して居座る親を全否定していくカウンセリングプログラムです。

自分の体験値の上に、

かさぶたのように覆いかぶさっている親を退治して初めて、

自分の固有な体験値に基づいた初々しい自分が、生まれて行きます。

生まれてというか、立ち上がって,というか、

本当の自分がやっと頭をもたげてくるのですね。

この「自他の分離」ができていない事はさまざまに、

その人間のネガティブな心理になっていきます。

不安や恐れや怯え、さらにコンプレック心理の原因になります。

先般書いた片付けられないことも、

引きこもりも、子供のイジメも、いじめられる子供も、

すぐキレてヒステリーを起こす子供も、子供の自殺も、

その根底には、その子供の無力感があります。そして、

家庭内暴力などは、親からなんとか分離しようとする子供のSO Sです。

冒頭にもかきましたが「自他の分離」ができてこそ、そこに客観性が生まれます。

その人間の心理が独り立ちしていきます。

自分と他者とは全くの別物であり、

お互いが、それぞれの自分を生きている、という認知,認識です。

しかし難しいのは、

「意識」の上でそれをいくら自分に言い聞かせても、

「自他の分離」はおきません。

というのは、これは、身体の問題でもあるからです。

つまり、脳と身体は双方向に働きます。

つまり、脳の記憶は必ず身体の臨場感と結びついているのです。

脳にシコった、或いは記憶に巣くったものをは、脳の意識と同時に

身体の臨場をもって、変えて行かないとダメなんです。

身体の緊張や怯えや恐れを

取り除かなければならないのです。

脳と身体の双方をお掃除しなければダメなんです。

そうして、両方をお掃除して初めて、頭の中に客観性、自我の外から自分を見る能力が生まれてくるのです。

やっと頭の中が整理されるのです。

自分で子供の頭をつぶしおいて、頭が良い子になれ、なんて、日本の親は、なんと身勝手かと私は思って来ました…苦笑。そして親としての本望は、

自分が死んでも子供が自力でたくましく生きることことではありませんか?

私などは「死と再生」のプログラムで、喜んで、子供に✖︎ろされました…笑。

私の塾では、この「自他の分離」のワークをやります。

ただ、それは私にとってもかなりハードなワークですので

毎回お二人だけに絞ってやります。

また、ワークをする方も、自分を変える、という覚悟が必要です。

生きることは、容易ならざることです。

ホントに大変です。それでも、

本気で「自他の分離」に取り組む方だけには、全力で向き合ってやろうと思います。

次回「自他の分離」2は、子供から見た親の姿、について書きます。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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