今朝7/7日、「リハック」で内田樹さんと斎藤幸平さんの対談をみてホッとしました。
それは、内田さんがアメリカのピーター・ティールやイーロンを始めとするテクノリバタリアンを、幼児的発想の頭脳レベルだ言われ、私は始めて、私と同じ認識の人に会いホッとしました。
対談相手の斎藤幸平氏の本「人新世の・黙示録」も読みましたが、まだまだ頭でっかちで観念的です。もう一段の人間認識が必要です。
それでもこの本は今の若者の危機感を表しています。
ただ、私や内田さんのように年齢を重ねた人間からすると、先ほどのテクノリバダリアンが幼児的で成熟度が低いように、斎藤氏もまだまだ人間を観念的にしか捉えていません。
そして、人間にとって最も大事なのは、脳世界ではなく、身体性です。
これは養老猛氏もしきりに説いておられるが、私もそう思います。脳に身体が反応し、その身体が必死に生きている、というのが人間です。
だからいくらテクノロジーが発達しても、そこに、人間の身体の充実がなければ人間は、幸福にはなれないのです。
内田樹氏は、時代を戻せ、と言っておられたが、まさに私もそう思います。
そして私はその時代を先取りして映画を撮りました。それが
私と能勢監督が作った映画「どこかに美しい村はないか」です。
映画「どこかに美しい村はないか」はまさに、これからさきの未来においての人間の在り方として、そのひとつのモデル、サジェスチョンとして、
「美しい村」を映画に残しました。
機が熟したらまた公開します。
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