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◆地方に産業を興す、その2 名人たちの村

C・W・ニコルさんが日本へ来て、信濃の森に魅せられて、

本当は家を建てるはずだったお金で森を買いました。

その時ニコルさんが出会ったのが。マタギであり、

森を知り尽くした森の名人松木さんでした。

松木さんという強力な相棒を得て、あのアファンの森を整備し始めたのです。

そうなんです。

地方には、そういう名人がいるのです。

森の名人、畑の名人、田んぼ名人、川の名人、海の名人、

魚獲りの名人、木の名人、山菜の名人・・・etc。

その方々こそ、地方再生、或いは地方産業の要となるものを持っておられる。

昨日書いた若者のように、自分達が都会的な新しいものをもって、

地方にそれを教えてやる、なんて傲慢なものではなく、

どうしたら、地方の中に有るポテンシャルと、自分のそれを合体させて、

さらに可能性を見つけよう・・・くらいの見識の深さと謙虚さが必要ですね。

その時、そもそも個人が起業することと、産業を興すこととは根本的な違いがある、

と、私は考えます。

だから、地方で新しい起業をすればいいという事ではありません。

残念なことに総務省の役人や地方の役人も含め、その違いを分かっている人は極小です。

むしろ分かっていない人間が安易に地方で新しいものを起業すれば、

そこに産業が起きるような錯覚をしている。

そもそも産業とは、

その土地での生産性を共有する大きな集団と、

その生産性をネットワークできる集団の

大きな塊としての生産団体の台頭が必要です。

地方を甦得させる為には、そういう基礎集団を作り上げていくことが必須条件です。

ですから、そこには共通の資源や技術や知識や価値意識等が必要なのです。

個々の起業はそれはそれでいいですが、

それが個人事業のところで終わらず、

その地域においての・連続性や・共有性をもたなければ産業へとはなり得ません。

そのためにはその地域における共有の資源と知識と技術が、

どのように現存して有るか、ということがポイントであり、

必須条件であり、基本条件です。

そのカギを握るのが、冒頭に書いた、名人達なのです。

つまり歴史的にその地域を支えてきた人々こそがかぎなのです。

ただ、もう本当に残念ですが、名人たちが、どんどんいなくなっている。

もし本気で地方を再生しようとするなら、その名人たちの知識と技術をしっかりと担保し、

その上で、地方における産業の可能性をフィールド調査し、掘り起こし、

さらにそこにデジタルなものと協働させる、という事だと思います。

まずは歴史的な流れの中で、なぜそれがその地域での地場産業となっていたかを、

分析することです。

そこにこそ地方産業再生の、カギがあると私は思います。

田んぼの除草をする青年を撮る、千葉カメラマン!
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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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