産業が産業として成立する、ということは
そこに共有の資源や知識や技術がある、という事です。
つまりその地域がこれまで
●何を生業にして歴史的に生き延びてきたか、ということが
とても大事なのです。
ところが日本は工業社会となり、工業を優先してきた為、
地方のそれが無視され、逆に廃れて行きました。
工業社会というのは出来るだけ大きな工場施設をもち
大量に規格品を生産するというものですが、
それが今の情報デジタル社会になると、
一挙に大量に作られた規格品よりも、
個々の消費者のニーズに沿った、多様で個性的な物の方が売れる、
或いは必要とされるという時代になりました。
つまり、はっきり言うと、
もう大量に規格品を作る工業社会は衰退し始めたのです。
反対にこれからは、
デジタルでAIを駆使した●超高度テクノロジー製品を供給する文化と
その対極にある、
●アナログで、人の手によってつくられる高品質なものを供給する文化とが
せめぎ合うことになると思います。
その事を見込んだ上で、私は映画をプロデュースしました。
この映画は一見アナログ世界への郷愁のように見えますが、
そうではなく、未来へ向かってのヒントなのです。
映画の中にとても大切なものを、能勢監督が描いてくれました。
日本が、そして地方(遠野)が生き延びてゆくために
地方にこそ、生産と産業の萌芽があることを
描きました。
産業と言えども、まずはその産業の基になることから
始めなければなりません。
つまりなんでもそうですが、
土を耕し、種を撒くことから始めねばなりません。
産業は空から降ってくるものではないのですよ。
その産業の種を撒き、芽が出て育ち実がなるまでは、
相当の時間を要します。
おそらく最低は十年以上必要でしょう。
だからこそ、
今、土を耕し、種を撒いておかなければ、
これからの時代には間に合いません。
それを見越したうえで、今私たちは
何をしなければならないかを
お伝えしたつもりです。
例えば稲作においては徹底したアナログの技術として、
ばっちゃ達の手植えの技術、草取りの技術、そして
なぜそれをするかが重要なポイントです。
もしかしたら消えてしまうかもしれないそれを
私たちは見直し検証し、担保しなければ、
●重大な生産性を取り逃がしてしまう。
つまり
ばっちゃ達の手植えや草取りの中に、
おいしいお米ができる●わけが、あるのです。
そういう事がこれからのアナログ産業経済における重要な
●ブランディングポイントになるはずです。
そのせっかくの産業の芽となるものを
後継しようとする見識も意志もが薄弱である人々を
私はほんとうにもったいないと思います。
映画フィナーレのラッシュ映像では
90歳のおばあちゃんが鎌で稲を刈っています。
このすごい技と生命力を、
いかに次の時代へとバトンさせていくか。
そこにこそ大変なポテンシャルがあるのですよ。
今能勢監督と二人の熟練カメラマンによる映画続編が撮られています。
そこには、未来、つまり10年後、30年後を見越し、遠野での
稲作産業の土壌を造ろうとする青年のことが描かれる予定です。
●遠野にある潜在的な産業力が、語られると思います。
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