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我が尊敬のアンデルセンその1アンデルセンのお母さん!

とうとうこういう日が来たというか、というのは、

つい最近までは、こういう事を書くことが、

少々阻まれる世の風潮がありました。

だから私は今までは、そこをちょっとぼかし、曖昧に書いてきましたが、

しかし、我尊敬するアンデルセンの真髄を書くためには、

どうしてもこの事をしっかり踏まえなければ、

ならないと、私は思うのです。

それはアンデルセンのお母さんのことです。

アンデルセンのお母さんこそ、アンデルセンの創作の源泉だと

私は思うのです。

しかし彼のお母さんの出自を今までは曖昧にしてきたのです。

なぜなら、そのことを書くことで、いわゆるアンデルセン幻想をもつ人や

アンデルセン信者からの攻撃をうけかねないという危険がありました。

しかし、もう、それを明らかにすることを受け入れる時代がきたと思います。

実はアンデルセンのお母さんの出自は、かなり怪しいスラム街の売春の世界であり、

お母さん自身も婚外子です。しかし、

さらにアンデルセンのお婆さんは売春街で3人もの婚外子を生んだいうことで

投獄されもした人です。

だからアンデルセンのお母さんもかなり性に関しては、奔放であったようです。

しかし、しかし、私はこのお母さんを尊敬します。

アンデルセンの「即興詩人」を読むと、そこには

愛情深いお母さんの、素敵な姿が書いてあります。

おそらくお母さんの人柄はきっと素敵な人であったろうと、私は思いますし、

私はこのお母さん抜きにして、アンデルセンの創作はあり得ないと

思うからです。

アンデルセンも一部にはペシミストのように言われていますし、

自分でもそう書いています。

ただ私は彼の全ては、

その作品の中にこそある、と考えていますから、

安易にアンデルセンにそういうレッテルを張りたくないのです。

実は私はアンデルセンのことを書こうと思い

全部ではありませんが彼の童話をほとんど読みました。

その上で、やはり彼を尊敬します。

特に女性の内的本質に関しては、見事です。

その根底にあるのは、極度に貧しい中で

このお母さんが持つ純真さや楽天性と逞しさを、

ちゃんとアンデルセンに渡したからだと思います。

アンデルセンが生まれたのは、デンマーク、フュン島オーデンセです。

そこで、貧しい靴職人の息子として生まれました。

父親はどうやら移住してきたらしいのですが、しかし

文学や政治好きの青年でナポレオンを深く信奉していました。

お父さんには、それなりの教養世界があったと思われます。

お母さんは洗濯女として、しかしどうやら怪しく、身をひさいでいたふしもあります。

そして二人はいわゆるできちゃった婚か、また、或いは、その他の理由で?で、

アンデルセンが生まれる二か月前に結婚しました。

だからアンデルセンは婚外子ではありません。

ただ、お母さんはアンデルセンの姉も婚外子として生んでおり、

この姉は、お婆さんに預けられて育てられました。

そのためかこの姉は、身持ちが悪く、堕落した生活をしており、

出世し、社会的地位をえたアンデルセンが、いつも

その陰に脅かされていました。

このことは,後ほどアッと驚くエピソードとして書きます(お楽しみに!)

お父さんとお母さんとアンデルセンは、たった一間に住んでおり、

余りかせぎのないお父さんに代わって、お母さんが、掃除婦や洗濯女として、

働いており、冬の冷たい川で洗濯するお母さんが、いつもビールを飲んでは、

その冷えをしのぎ、少年アンデルセンは、いつもそのビールをお母さんの為に

運んでいたようです。

ビールを飲んで酔っぱらいながら、洗濯をするお母さんを忍んで

アンデルセンは童話を一本書いています。

お金が無くなり、お母さんの物乞いで、一家を凌いだこともありました。

「マッチ売りの少女」はまさしくお母さんの子供時代がモデルです。

実はアンデルセンもいじめられっ子であり、あまり学校にも行っていません。

本人も、お父さんから与えられた本を読んでいて、いつも一人だったと

手紙に書いています。

ただ、もしかしたら近所の女の子とは

あの「雪の女王」のカイとゲルダのように遊んだかもしれませんね。

ほとんど学校へいかなくても、

お父さんの影響を受けて本を読み、お父さんと一緒に

指人形の劇を作り、そして芸術や音楽も教えてもらい、とても素敵な

彼自身、美しいボーイソプラノであったようです。

このボーイソプラノの声と彼の唄が功を奏し、

学校へいかなくとも

中流、上流階級の婦人たちに取り入っていくアンデルセンがいました。

この<取り入る>という表現を私はあまり好きではないがしかし

彼はその中で新しい交流と、コペンハーゲンへと出かける切符を手にしたことは

たしかです。

また父親の死後、

工場に働きに出されたアンデルセンが

余りに美しい声で歌うので工員たちに、アイツは女ではないかと疑われ、

パンツを脱がされるという辱めを受け、

それを聞いたお母さんがカンカンに怒り、

すぐその工場をやめさせました。

とにかく貧しく、決して楽しい子供時代ではなかったはずですが、

アンデルセンの中には、どういうわけか、澄んだ自尊心があります。

この澄んだ自尊心が、少しずつ自立心と合体しながら、

彼の創作が成されていきます。

それは、彼の童話の中で、少しずつ形になり、物語りの本髄へと熟していきます。

それが最高に熟したのが「雪の女王」ではないかと、私は思います。

以前書いたようにアンデルセンはバイセクシャルの人です。

男にも女にも恋をした人です。

しかしバイセクシャルであるが故に、彼が人間の本質をつかみ

その根源にある、大切なものは何か、ということに気づき、

それを童話にしていったとも言えます。

今日はこの辺で、また!

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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