ではヴェルナツキーが考えた進化論に行きますが、彼の未来図は
・人間は将来『独立栄養生物』に自己をつくりかえなければならないというものです。
まずは『独立栄養生物」とは、光合成や炭酸同化作用などで生きている植物のような生物です。
それに比べ人間を含む動物は、自分以外の植物や動物のタンパク質やその他の栄養物を食べて生きており、
その栄養で生きる生物のことを『従属栄養生物」と言います。
ヴェルナツキーはこの事こそが人間の存在条件を規定していると考え、
その規定こそが、人間の様々な歴史や存在のリスクとなっており、
もし、人間が『独立栄養脳力』を獲得できれば、
・飢えからの解放になると、考えたのです。さらにそれは、
・人間が生きるためには他の動物を殺傷しなければならない、という
生の宿命からも、解放されると・・・。
そのためには・有機化学を発達させて、
・食物を無機物から直接合成できるようになることだと考えたのです。
これが実現したら、人間の在り方は根底から変わると考えたのです。
なんだか信じられない話で、いかにも荒唐無稽のようですが、
●実はもうこの技術『人工光合成技術』はもう着手開発されており、
今はコストと安全性の面からの検証進行形になっています。
そして「人工光合成食品」はどんなものなのだろう?
更に果たして、人間が『独立栄養生物』になれるかどうかは、
果たしてそこには科学技術のマイナス面はないのか?或いは
生理学、生化学、つまり生物体の構成物質やその作用・反応においても、また、
生命現象上でのなにか支障は起きないのか。
そうなったときの精神面、心理面の変化まで考える必要がある、と立花氏は言っています。
ただこの話には先があり、
人類の宇宙開発の先駆者であるツィオルコスキーもヴェルナツキーと同じような発想をしています。
そしてツィオルコスキーの発想する『独立栄養生物』としての人間は、
外界から完全に隔絶され、排泄器官をもたない生物であり、と。
どうでしょう、
私には、もはやこれが人間といえるかどうか、疑問です。
ただこれも何十世紀かをかけて人間はこのように進化していくだろう、という話で、
何百年か先の未来のことらしいです。
しかしこの説を読んだ私はぞっとしました。それは果たしてそれは、
人間の幸福になるのだろうか、という疑問です。
ここまでくると、私の頭ではもうその科学と化学の世界にはついていけない。
以上が二つの進化論です。
ただこれはあくまでも、物理や分子生物学という、ハード面からの進化であり、
●人間はもう一つ大事な世界を持っています。
それは脳が作りだす●人間の文化からみた進化の世界です。
そこには有史以来の豊かな人間の創作の世界があります。
次回からは、人間の文化(アイデンティティー)について考えてみようと思います。

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