私達の脳が両生類や爬虫類、哺乳類等のプロセスを経て発達してきたことは
誰もが知っていると思います。
そして人間の脳にはその名残りである・大脳旧皮質があり、
その中に辺縁系という部位があります。
辺縁系では人間の本能的な食欲、性欲、睡眠欲を始め
喜怒哀楽、情緒などがここで起こります。
この辺縁系の中にはアーモンドの形をした偏桃体という小さな部位があり、
そこでは、感情の好き嫌い、快、不快さらに痛み不安や恐怖という
●動物としての本能の感情があるのです。ところが
この辺縁系というのが強くてヤッカイなのですよ。
私達のネガティブ感情の、自己顕示や支配欲や攻撃心や他者否定などが
ここから起きてくるのです。
もちろん辺縁系も
理性の座である前頭前野とは繋がっているのですが、それでも
ここが興奮しだすともう、理性のいう事なんか訊きゃしない!
いくら理性を働かせようとしても、ネガティブな感情が
ムクムクと頭をもたげてきます…トホホ!
皆さんも自分が自分でどうにもならない、という経験がおありでしょう!
そういう人間のネガティブ感情や攻撃や支配欲の感情を
いかに押さえるかを
●脳が解明されるず~っと以前に
キリストも釈迦も必死に考え、そして神道も考え出したのですね。
なぜか?
●人間が他者と伴に生きる為にです。
人間が人間たるためには前頭葉をいかに磨き、
理性と知性を高めるかです。
しかし残念ながら人間は今も
・辺縁系の欲求を克服できていないのが現実です。
いまだに人間社会は不毛な争いや対立を克服できない。
大きいのは戦争から、小さいのは個々人の対立に至るまで、です。
もともと人間の歴史は常にエントロピー増大の法則に抗するものでした。
つまり人間が生き伸びてゆくためには、
感情の暴走を抑え、いかに対立を乗り越え、
平和と秩序を求めるかという創造と進化の歴史でもあったのです。
だからこそ人間は、古代専制国家や奴隷制をなくし、
更には封建主義国家も革命で乗り越えて
●自由とデモクラシーという理念を獲得しました。
その理念の創造のなかに、宗教もあり、音楽もあり
そして芸術や文学や哲学で
●人間は考え続けてきたはずなのです。
つまり文化とは、人間が考え続けた知の遺産であり、
その遺産が、遺伝子でバトンされながら歴史が進み
●今の私達のアイデンティティーが成り立っているのです。
アイデンティティーとは、
・自分は何者であり、
・何を根拠に今を生きているか、ということです。
これはとても大切なことであり、これを失うと、
足をきられた凧のように人間は浮遊してしまいます。
そのアイデンティティのベースを作る為に、
人間はいつも自分の脳の動物性=辺縁系と葛藤し、
前頭葉を駆使して理念と文化を作り上げてきました
つまり
伝統や伝習を含め、良くも悪くも人間が生きてきた歴史と道筋のすべてが
人間の知的文化遺産であり、
それをどのように検証し、選択し、浄化して
次の文化へとつないでゆくかこそが、
今私達が考えければならないことなのです。
だからこそ、
いくら科学テクノノロジーの利便性や効率性や生産性や経済性が有効でも、
それが本当に人間の幸福につながるのかを
考えなくてはならないのです。
むしろ科学テクノノロジーへの裡にあってこそ、
AI科学テクノノロジー社会へと
一気に進む前に、私たちは踏みとどまり、
知性と考察を駆使して
文化と文明を総総括する必要があると、私は考えます。
それと共に人間は謙虚に頭を垂れ、
●祈りの世界を、忘れてはならないと思います。
さて次回はちょっと寄り道として、
どのように音楽が発展してきたかを、
書きます。

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