なぜ映画を創ろうと思ったかは・・・。

なぜ映画を創ろうと思ったかは、それを上手く説明できませんでした。

なぜならもう私の頭に詰め込んだ諸々が余りにも大きすぎて、多すぎて、脳が団子状態であり、

どこを切り口に書いたらいいのかが、なかなか整理がつきませんでした。

確かな動機の一つはAI時代になり、その利便さで、

人間が脳と身体をつかわくなればなるほど人々の脳は五感から感覚入力が衰え、

脳情報が少なくなり、劣化していくだろうという危機感でした。

脳が成熟していくためには経験値や体験知が重要ですから。

脳の世界をどのように説明したらいいか。日本の世間において、

相対性理論の宇宙物理やエントロピー増大の法則や、更に、

脳の中は物理とケミカル現象であること等、どう説明すればいいのかも、

なかなか説明のための道筋が見つかりませんでした。

断片的に頭の中をことばや論理がめぐるのですが、なかなか文脈として出てこないのです。

ところが4月30日に立花隆氏が亡くなられたことが、何か私の中に変容が起き、

有る勇気をもたらしました。

たとえ一般的には理解されなくとも、正直に書かなければ、という思いに駆られました。

そこにこそ、物書きとしての私の意義があるじゃないか、とです。

立花氏はジャーナリストとしても一流の信念を貫き、更に私にとっては現代において

物理学、化学、分子生物学、脳科学、哲学、文学、社会学を網羅する知識を以て書き、語る

唯一の人でありました。

私の中では尊敬する師として、道元についての名著をした文化人類学の岩田慶治先生や、

社会学の三田宗助先生もおられたけれど、お二人とももう鬼籍の中に入られた。

ひとり残ったのがジャーナリストの立花隆さんであった。

三人に共通するのは、ひたすら人間とは何か、さらに人間はどこへ行こうとするのか、

今何を為さなければならないかという事を厳しく妥協なく追及する事であったと思います。

一方私といえば、こんなことを書いても理解されないだろうとか、

以前、人間の死後はないと書いたブログに、スピリチャル系の人から、

変な言いがかりや攻撃が来たことなどがあり、いつも、なんとなく日和って、

口当たりの良い方へとシフトしていた自分がいます。

でも、私も人一倍人間のことを思っており、ならば、

思うところを正直に書かばなりませんね。そんなことがあり、

この度は覚悟を決めて「人間はどこへ行くのか」そしてなぜ私が

映画を創ろうと思ったかを書きました。

書くにあたり、私は人類史における文化すべてを肯定する、という立ち位置で書くという

信条をもっています。そこが立花氏と私との違いです。

立花氏は宗教に対して否定的であることとさらにフロイトを評価しないことであり、

私は宗教も含めて、包括的に人間の文化が成立すると考えることや、

フロイトの理論そのものよりも、彼が見出した<無意識の世界>こそが、

重要であると評価します。

人間は無意識の領域で脳のソフトの内容をつくりだします。

そして無意識の領域にある動機を探し出す心理分析は、その人間の行動の変容をも作り出します。

宗教については、神秘や不明をすべて神によって解決する、

つまりすべては神の技であり、神の御心のままでありとすれば、すべて事が済んでしまう、という欺瞞にたいして、

立花氏は指弾している。つまり、人間を甘やかさないのです。

本当に人間ことを思えば、確かにそうであると私も思う。しかし、カウンセラーとしての私は、

そういう矛盾や不合理も含めて人間はその存在を作っており、

そこまで行くと人間の精神が壊れかねないな~とも考えるのです。

まあ、そこが私の甘さかもしれませんが。とにかく、

もう逝ってしまわれた氏の背中を励みに、もしかしたらら理解されないことも、承知で書きました。

渾身の自分で書きました。そして疲れました・…笑い!

写真は今朝の朝焼けです。久しぶりに綺麗な空でした。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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