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又吉直樹原作のドラマ「火花」を見終わったがやはり予感が当たってしまった。

又吉直樹原作のドラマ「火花」を見終わったがやはり予感が当たってしまった。

言葉にならない。

言葉にしたくないほど酷い。

なんだか,文学のまがいものを見せられた気がする。

だから本当は書くのをやめようと思ったが、

しかし私の愛する芸人達はこんなものではないと思うと、 

言葉が私の中から吹き出してしまった。

このドラマは、芸人を半分,いや30%くらいしか描いていない。

テレビに出れない事や,売れないことが、まるで芸人失格のようになっている。

そんなことはないのである。

そりゃテレビで売れなくてやめていく芸人もおるだろう、しかし、

テレビだけが舞台ではない。

スーパーにもパチンコ屋にも営業に行くだろう。

また、10年そこらの下積みなんか普通の事であり、

人によっては20年の下積もザラで、

それでもお笑いに取り憑かれ、頑張っている芸人がたくさんいる。

ほんとうに残念なのは、芸人が惹かれるお笑いの魅力や、

芸人たる矜持ともいうべきものが描かれておらず、

又吉氏の自虐の観念の短絡の中に、

芸人が囲い込まれて書かれいることだ。

芸人の輝きも、逞しさも、したたかさも、

その奔放性や、破天荒さもが、

一切無視されていることだ。

無視されるというより、又吉氏自身の理解が,浅すぎる。

反対に主人公の神谷が破天荒のように描かれているが、ちっとも破天荒ではない。

主人公の漫才師が解散する最後の舞台にしても、

本当の漫才師なら、

最後ぐらい客が笑い倒れるくらい笑わせてやろうと意気込む凄みの芸人魂が発揮されるのではなく、 

客の涙を誘うように、

客を感動させるような設定を作り上げているが、これは甘えであり、

作者の大いなる勘違いのように思うよ,私は。

更にひどいのは、主役達の台詞の白々しさで、

もしこのドラマが原作とは異なる台詞にしたならば仕方がないが、

原作の台詞であるなら、

まさに又吉氏が,頭の中で捏ねた言葉であり、ちっとも心に響いてこない。

まだ文字ならいいが、それが生の音声の台詞として語られる場合は

ほんとうに臨場感のない台詞であり、

主役を演じる浪岡氏はかなり苦労されたと思う。

しかしこのドラマを私が最後まで見れたのは、

主役の林遣都君と、浪岡さんの熱演があったからだと思う。

この二人は素晴らしかった。メアリージュン嬢もよかったし,

びっくりしたのは、とろサーモンの村田氏の演技で、彼も良かった。

最後に、私は芥川龍之介賞は、田中慎也氏以降は読んでいず、久しぶりに又吉君の読んだ。

しかしながら感動はなく、クライマックスに神谷が自分の乳にシリコンを入れるという設定とシーンが

気持ち悪かったことだけは覚えている。

田中慎也氏の作品を読んだ時、彼の潜在意識に、

女とはこんなものだろうという先入観があり、なんとも稚拙でガッカリしたのを機に、

それまでうっすらと感じていた

審査員の質と言うかレベルにも懐疑的になり、

以来芥川賞作品を読むのをやめていた。

芥川賞は、

芥川が自死し、それを悼んだ菊池寛がこの賞を作ったのだが、

その時の芥川と菊池寛の胸が痛くなるようないきさつを思い、また、

命を削りながら言葉を書いた芥川龍之介のことを思うと、

なんだか虚しい寂寥感が湧いてくる。

それも時代かもしれない。

ただ良かったのは、林遣都君と浪岡さんのファンに私がなれたことで、

この二人の俳優が更にその演技に磨きをかけることを、

楽しみしている。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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