
どうやら世の中では「自己肯定感」が云々されているらしい。
そもそも人間というのは、瞬間瞬間の現象ですから、
自分の中に「自己肯定感」なぞというものが、恒久的にあることなどないのです。
強いて言えば、自分の実感で生きている人は、
常に自分に満足していますから、自己肯定感の連続性の中で生きていると、いえなくもありません。
問題は、自分の実感、という感覚と感情の回路を、失ってしまった人間です。
或いは、感覚と感情の機能が、極めて希薄になってしまった人達です。
こういう脳の圧倒な例は、脳が受験脳になってしまった高学歴の人達に圧倒的に多いです。
いうなれば、自分の感覚と感情を、
おろそかにし、或いは無視し、
反対に頭の中の、理屈(合理性)で、
物事を判断し、行為してきた人達です。
こう言うふうに頭でっかち人間や、
受験脳になってしまった人達は、
感覚や感情から情報を入力できず、
つまり自分が感じたことや、沸き起こってくる感情を、
無視,或いはスルーしてばかりして、生きて来た人達です。
まー親から見たらの優等生です。
情報をあたまから仕入れてしまう人間で、
そういう人は、感覚が鈍麻し、感情を抑えこみ、
自分に起きることを、
言葉(合理性や概念)で、自分に説明をつけて来た人達です。
感覚や感情は直裁的に、
脳や身体に、その真実や全貌が刺さってきますが(刺激していきますが)
頭の中で合理的に処理することは、
都合の悪いことや見たくないことは、
自分に都合の良いように、脚色されてスルーしてしまいます。
つまり感覚や感情は、ことばにはならないことや、言葉にはできないことも、
漠然とした,曖昧とした感じで,脳内へと、担保されていきますが、
言葉(概念)で、括られた瞬間、
それらの曖昧性や漠然とした感覚は、抜け落ちていくのです。つまり、
言葉で説明がつきうる貧相で限定的な、脳情報とメタ認知しか、
持てなくなるのです。
人間は言語化できえない望洋とした広い非認知空間を持ち、
言語化できない感覚的宇宙空間の中で、
一つひとつの経験とそれに対する感情の反応値を得ながら、
それらを概念化(認識、思い込み)していきます。
自己肯定感がない人間は、
その前提になる
感覚と感情を、疎かにしてきたのですから、
当然
実感もなく、
自分自身が何を欲しているかもわからず、
漠然とした自分を抱えて生きるしかないのです。
残念ですが、受験を目的化した日本の世の中は、
こういう,ある種、
無機的自分を生きる若者を増産してしまいました。
そうなってしまった自分をもとに戻すのは至難の業です。
しかし、気がついた瞬間から、
できるだけ自分の感覚を
信じ、
自分の感情を
大切にし、否定せず、すぐ結論を出さず、
その感覚と感情を受け入れ抱えたままにしておくという、
トレーニングが必要でしょう。
私の「田下啓子塾」では、
・先ず絵を描きながら、自分の全景
自分という人間の感覚、感情、そして思い込んだ概念を
見て行きます。
それを手掛かりに、その人に掛かっている感情のブレーキを、
身体のワークで外して行きます。
人間は脳と身体の連携した臨場感の中で生きていますから、
身体の臨場感を伴うワークが、とても重要なのです。
まー自己肯定感の低い人は、本当に気の毒ですが、
こんなところですかねー。
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