『どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる』
茨木のり子 六月より
映画「どこかに美しい村」をご覧になった方の中には
ラストに出てくるこの詩の最後、
「したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる」
ということが、どういう事であるか、
戸惑われた方もあるかと思います。
実は茨木のり子さんは<怒りの人>でもあったのです。
ちなみわたしも<怒りの人>です…苦笑!
私が大好きな茨木さんの詩
「わたしが一番きれいだったとき」では
太平洋戦争で、青春を奪われた怒りを詩っています。
また
「自分の感受性くらい」という詩では、
他人のせいにするな、
「自分の感受性くらい自分でまもれ、ばかものよ」と律しています。
では、なぜこの「六月」という詩の最後に「怒り」を持ってきたかというと
とかく悪者にされがちですが、
実は怒りは自己尊厳を回復するエネルギーでもあるのです。
怒りを忘れた人間は、他者に追随する奴隷になるかもしれない。
怒らずに追随し、
ウカウカと戦争にひきずりこまされたことを忘れてはいけないと
茨木さんは怒るのです。
同じ時代を生きるあなたも私も、親しさと面白さと
そして、理不尽なことに対する怒りを
決して忘れてはいけないと。
実は怒りの深層心理には自分の無力感があります。
プーチンの場合は、それが被害妄想になり、
さらに戦争への暴挙をかりたてました。
怒りを放置しておくと、
それはいつの間にかその人間の精神を蝕み、
狂気的な行動へと暴走します。
しかし怒りをきちんと受け止め、表現し、解決していくと
怒りは生命エネルギーへと転換されていきます。
行動エネルギーが湧いてくるのです。
ウクライナは今、その怒りのもとにロシアへの反撃をしています。
つまり自分達の怒りをしっかりと受け止め、逃げないで
ロシアと抗戦しているからです。
だから彼らの精神はしっかりと
謙譲に働いているのです。
ガンバレウクライナ!
もし茨木さんが生きておられたら
今ウクライナで起きているロシアの暴挙に
カンカンに怒られることでしょう。
私も怒っています。しかし一方で心配します。それは
大儀なき戦争のために、人々に銃を向け殺したロシア兵は
おそらく、その後PTSD(心的障害)に陥るかもしれません。
それもほんとうに気の毒で悲しいことです。
ロシアこそは、この侵略からくる若者達への反動が
深刻になると思います。
ベトナム戦争後のアメリカでも、
このことがおきました。
一日も早くロシアは
とても正気とは見えないプーチンを更迭し
ウクライナから撤退してほしいと思います。
ウクライナのためにもロシアのためにも、
です。

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