自他の分離、すなわち他人と自分は全く別の違和世界を生きている、というのは、
脳の神経ネットワークがひとりひとり、個人によって全く違うのです。
世の中も他人も、自分とは異次元の世界を生きている、ということを理解できるには、
人生の体験値を重ね、前頭葉が成熟してこないとなかなか分かりません。
人によっては死ぬまでそれがわからない人もたくさんいます。
芥川龍之介の場合も、それを理解できるには、
余りにも若すぎましたねー、
なんたって36歳ですから。
自他の分離が出来ていない一つは、
彼を育てた伯母の彼への囲い込みや介入もすごいものがありましたから。
自我が親やそれに類する人間から、
自立、独立していく脳のネットワークを作り出すことで、
自他の分離も完成していきますから。
ユング心理学では母性についての分析で「グレートマザー」というのがあるのですが、
母性には、
慈しみ愛情をかける母性と、
子供の生命エネルギーをうばい呑み込んでしまう母性の、
二面性が有るという分析です。
まさに龍之介の伯母はそういう存在ではなかったかと思います。
そういう母性は無意識に子供に執着し、子供が自立することを望みません。
龍之介の場合も、結婚しても伯母が介入して行きます。
また情けないことに龍之介も伯母を突き放すことができず、
かろうじて、仕事を理由に実家から引っ越すくらいしか出来ませんでした。
しかし引っ越しても、また、1年そこそこで実家に戻ってしまいます。
グレートマザーの呪いは恐ろしいのです…苦笑。
彼自身が伯母については、
「僕の生涯を不幸にした人で無二の恩人」と言っています。
さて、
なぜ漱石が龍之介に絶賛したかは、
まず「羅生門」には鋭く光る殺気があり、
感情を吐露することをよしとしない(そういうことを嫌う)
芥川の作風「鼻」「芋粥」にある、
ある種の諦観に、
漱石が反応したのではなかろうか。
そこには、映像のように描かれている、
現象としての人間です。
ただ芥川はまだそこが曖昧で、迷いがあり、ハッキリとは意識されていない。
しかし漱石亡き後に彼が自分の心情現象として書いた
独白的作品、
例えば「歯車」「點鬼簿」などは、
自分の現象を記述した優れた作品になっています。
漱石は、感情や欲望のもっと奥にある、
人間と言う現象を追及し、
最終的にはそこへと到達していきます。
それはもう見事というしかありません。
次回はそのことについて書きます。
つづく。

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