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人間は、面白いね、3、才能は自己顕示でない、あるバカ映画監督の話!

あるバカ映画監督がいる。

彼にはその才能の兆しがあったから、私はささやかながら愛情を注いだ。

しかしあまりにも傲慢な彼は、その愛情にも気づかず、逆に私を刺してきた。

傲慢さは、盲になる。

傲慢さは,本当に価値があるもの、大切なものが、

見えなくなる。

今私は彼と彼の作品をみて、

あーこの程度で終わったか、と思っている。

つまり格段に凡庸さのレベルで、終わっている。

世の中の評価や論評などは、

凡庸だからこそ、世の中で通用するのであり、

非凡な才能は決して世俗には理解されない。

しかし、非凡な才能や作品は、世俗を突き抜けて美しい。

透明である。

その美しさと透明感に私は感嘆し、

官能が震える。

若き日に才能がある、しかしそれは「才気」であって、

「才気」が才能へと熟すには時間がかかる。

その時間の中で、いかに孤々黙々と自分を磨き熟させていくか。

言葉を変えると、

ひっそりと自分にしかわからない自分を抱き続けるかである。

傲慢とはまさに、

他者との比較や序列を礎に芽生える感情だ。

冒頭の◯◯映画監督は、傲慢になった故に、才能が止まった。

なぜなら、傲慢とはすなわち上昇志向のコンプレックスだからだ。

自分の中にある小さな才能の芽は、

自分の中の小さな灯火の様なもので、

自分の内部で密やかに育っていく。

その小さな芽を通俗から守る為には

その芽を孤立の中で抱いて守らなければ、ダメなんだね。

だからこそ、

花が開いた時、そこには、

誰も思いつかない、他に例えがたい、

作品が輝く!

それは、誰が見ても、美しいものなんだね。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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