あるバカ映画監督がいる。
彼にはその才能の兆しがあったから、私はささやかながら愛情を注いだ。
しかしあまりにも傲慢な彼は、その愛情にも気づかず、逆に私を刺してきた。
傲慢さは、盲になる。
傲慢さは,本当に価値があるもの、大切なものが、
見えなくなる。
今私は彼と彼の作品をみて、
あーこの程度で終わったか、と思っている。
つまり格段に凡庸さのレベルで、終わっている。
世の中の評価や論評などは、
凡庸だからこそ、世の中で通用するのであり、
非凡な才能は決して世俗には理解されない。
しかし、非凡な才能や作品は、世俗を突き抜けて美しい。
透明である。
その美しさと透明感に私は感嘆し、
官能が震える。
若き日に才能がある、しかしそれは「才気」であって、
「才気」が才能へと熟すには時間がかかる。
その時間の中で、いかに孤々黙々と自分を磨き熟させていくか。
言葉を変えると、
ひっそりと自分にしかわからない自分を抱き続けるかである。
傲慢とはまさに、
他者との比較や序列を礎に芽生える感情だ。
冒頭の◯◯映画監督は、傲慢になった故に、才能が止まった。
なぜなら、傲慢とはすなわち上昇志向のコンプレックスだからだ。
自分の中にある小さな才能の芽は、
自分の中の小さな灯火の様なもので、
自分の内部で密やかに育っていく。
その小さな芽を通俗から守る為には
その芽を孤立の中で抱いて守らなければ、ダメなんだね。
だからこそ、
花が開いた時、そこには、
誰も思いつかない、他に例えがたい、
作品が輝く!
それは、誰が見ても、美しいものなんだね。

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