YouTubeで「表現者クライテリオン特別座談会」で韓国イ・チャンドン監督映画「ペパーミントキャンディ」についてやっていました。
まー難しい映画で、その感想を言語化するのも、ちょっと高度の能力が必要です。
「表現者クライテリオン」の出席者達は、まず韓国の近代史の抑圧的な背景からその糸口を見つけようとしていましたが。
確かに、韓国は日本ではありえないような独裁や弾圧、左翼活動家への拷問など、もう本当に、ほんの少し前まで、
まっ黒に固まった息苦しい闇の壁が韓国を覆っていましたから
イ・チャンドンはそこへも切り込んでいったと思います。
ただ私はイ・チャンドンが、それらの社会現象の告発だけではなく、
そのずっと奥にある、
原初的な人間の世界を描いているようにも思いました。
つまり、どんな人間もその人間の内部には、
言語化できない黒い霧のようなものが立ち込めていて、更にその先には、石炭のように固まって真っ黒な塊のように萎縮してしまった悲しみや恨みの思いや意志があること。
そしてそれは表面の世の中を跳ね返し、いつかその塊が浄化され溶かされるように魂の底で浮遊していること。
それがもっとも端的に表されたのが映画「オアシス」です。
ひき逃げ事故の刑で刑務所から出てきたばかりの青年と脳性麻痺の女性との恋愛を描いています。
この二人ともなかなか自分を言語化表現することができません。
むしろ逆に、表面的な彼らの行為は周囲から誤解されてしまいます。
しかし、この二人はその誤解を解きようが無いのです。
その手段を持っていないのです。
そんな誤解されるままの現実の中で、それでも、
二人が自分たちの心の中の一番大事なことを進めていきます。
彼らの愛情の交換は、周囲には、
刑務所上がりの人間が障害者を強姦していくように見えやがて引き離されます。
イ・チャン、ドン監督が描きたかったのは、そういう物事の表面だけで判断していく人間たちが作る偏見を言いたかったのかもしれませんが、
私はもっとその奥にある、
人間の事は誰もわからない、他人のことも誰もわからない、ただ主人公の刑務所帰りの青年と障害者の女性の中にあった、
二人だけにしかわからない。魂の交流を通して、
人間とはいつもわかったふりをして、さもそれが正しいとか、秩序があるとか、正義だと思っているが、
本当にそうなのかなぁと、
人間社会の危うさを訴えているような気がします。
この事は同じようにベルギーのダルデンヌ兄弟の映画「ロゼッタ」に通じるものがあります。
本当の事はわからないんだよ。
人間は、傲慢にわかったつもりでいるけど、本当はね、
何もわかっていないかもしれないよ、私たちは。
と語りかけているように思います。
チャンドン監督の映画はほとんど見ましたが、
言葉にならない人間の深層の深いところにある、
小さな命の魂のあり様を開いて見せてくれているように、
いつも思います。

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