漱石も子規も、3親鸞も道元も、光の中へ

子規も漱石もドストエフスキーも、

自分がどう生きるかについて

人生を見渡し、社会を見渡して考え、そして書いた。

それは道元や親鸞も同じであり

私にとっては人生の師たちでもある。

道元の世界はまさしくこの世と人間を

●現象として相対化している世界である。

道元は、今から800年ちかく前に、

まるで脳科学を熟知しているかのような

認識論を展開している。

そのメタ認知力には脱帽する。

人間は、

他者や世の中との相対的な<関係>において、

認識し、思想し、行動が規定されていく。

それは道元にすれば覚醒を得るということであり、

認識、思想、行動を

如何に自己の手の中に置くかということでもあります。

自己の手の中にそれらが置かれ、

世俗的な先入観念や雑念を取り去り

最も自然な(脳の)働きを得ることで

<悟り>が起きてくるということを道元が

越前の深山の中で実践していきました。

その修行の有様は、

人間の生活を最小限の振る舞いの中に規定(様式化)し、

座禅により、

一切の雑念、煩悩を振り払い、さらに

自己の脳と体とが集中一致して思惟し行動していく人間へと

覚醒していく。

しかし彼はどういうわけか、48歳の時に

鎌倉幕府からの招聘をうけて

ほんとにうかうかと鎌倉へと行ってしまった。

もしかしたら、永平寺経営のために、

経済的な援助がほしかったのではないかとおもいますが・・・。

鎌倉幕府の執権北条時頼に招かれて行ったそこは、

まさに俗の俗たる権力と欲とがうごめいている真只中であり、

さらに武士とは、殺人を職業とする人間たちである。

親子、親族であっても殺し合い権力争いをする武家のアイデンティティの中へと

道元は踏み込んだが、しかし

弱冠21歳の若さで、血みどろの陰惨な中を生きる時頼に

道元は何を言えたのだろうか。

親族や眷属を皆殺しにして権力を手にいれた若き執権時頼に

道元は何を話したのであろうか。

その地獄のような中を生きざるを得ない時頼に

道元の言葉は響いたのであろうか。

おそらくそれは時頼の耳には

まるできれいごとの絵空的世界でしかなかったのではないだろうかと、

私は思う。

だからこそ道元は半年そうそうで、

そそくさと

逃げるように越前の山へと帰っていった。

道元は彼の師である如浄から厳しく

「国家権力」へ近寄ることを禁じられていた。

しかしうかうかと近寄ってしまった。

時頼の現実がどれほどの陰惨と業の深い中にあるかを

道元は見誤ってしまったのではないか。

鎌倉へいったものの

そこは救いようのない地でもあり

道元は逆に絶望の闇へと突きおとされたかもしれない。

だからこそ道元は山へ帰ってから病気になり

その4年後に死んでしまう。

鎌倉での答えを出せない自分を

苦しんだのではないだろか。

道元より少し前に生まれた親鸞は

鎌倉時代の闇でいきる人々を

なんとか救い出そうした。

力だけがものを言う武士の世界で

善も悪も聖も邪の世界が混乱し荒れ狂う中で

理念としても認識としても、仏教が効力を持たない。

その地獄のような世の中で、

親鸞は法然の後を引き継いで、

ただ<救い>だけを純化していった。

つまり

「念仏を唱えさえすれば救われる」という風に、です。

救いとは

ただひたすらに我を忘れて、<阿弥陀様>すがり、祈ることであるとしました。

彼は非力で弱く、

愚かで煩悩の欲に沈むしかない人々を

そのまま、丸ごと掬い上げることしかないと

気づいたのであろう。

念仏の言葉を唱えることによる

自己回復と、極限の自己救済を唱えていった親鸞は、

迫害を受け島流しにもあいながら、しかし

自身のことも、ことさら僧であることにこだわらず

ただの俗人として、巷のなかで腰を据えました。

どこにでもいそうな、ただのオッサンとしての自分を

民衆に差し出していったのです。

私にとって道元は眩しいほどの理知の世界である。しかし

それは大衆とはほど遠い覚醒の世界であり、

その難しさも厳しさもが

到底凡俗には受け入れられないであろうと思う。

しかし道元の提示した認識の世界はまさに

現代の脳のメカニズムが起こす人間現象の

根源的本質そのものを言い当ててもいる。

親鸞のその慈悲と憐れみの世界も

その本質においては厳しい覚醒の中から

生まれたものであり、

この世とは何一つ解決できないという無力感や

あきらめの先に、しかしそれでも

あきらめずに、いかに

生き抜いていくかのエールを

親鸞が民衆に贈った。

ふたりともが私に

人間とはなにか、

その人間が作り出す社会(世俗)とはなにか

そこでどのように生きるべきか、生きたらいいのかを

示唆し教示し、包み込んでくれる。

漱石が至った<則天去私>も

正岡子規の

なにごとがあっても平然と生き、

「あきらめるより以上の事として

あきらめることを楽しむ領域にゆく」

という覚醒も

道元の、世界をいかに相対化し、さらに

すべてが自己の内部で起きる現象であるという認識も、智の極地であり、

親鸞のひたすら祈り「阿弥陀如来」にすがるとことによる

自己放棄と自己超越も、

私が人生をかけて思惟し、考察し、そして

行動してきたことによる<気づき>の世界へと繋がる。

そして

気づくことは、

脳のメカニズムからしても

自分が一個の<孤,個>であることを、

或は<孤、個>でしかないことを、

自覚せざるをえない。

<孤>はちっぽけな個としての自分を進むしかない。

しかし

<孤>は突き進めば、大きな海がそこ立ち現れてくる。

それはまさしく<孤>が群れを成す人間の海であり

その海に浮かぶ<孤>は不連続に連続している。

全ての人間が包括され不連続に連続する時

そこには個が超越された人間の真理の海が

滔々とひろがっている。

書きながら、なんだかまたひとつ

眼が覚めた。

            

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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