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◆一粒の麦

昨日は、インテージの元社員の、

片桐さん、中村さんそして、本多佐和子さんが来てくださいました。

若い人に囲まれて憲雄氏もとても嬉しいそうでした。

また、インテージの創世記の話や懐かしい後藤先生の話、

ポスがいよいよデビューする経緯など、

そばで聞いている私もワクワクしました。

思えば日本経済が急上昇した、

企業の猛烈時代、

あのチョーブラックの会社で奴隷のように働く中で戦いを起こし、

労組の委員長として、

絶対自分の首を切られない為に、自分の業績もトップを取らねばならないと、

憲雄氏の全力疾走がはじまりました。

そして課長になった時だったと思いますが、

ドイツに出張に行き、そこでドイツ人から、日本には、こんな素晴らしい論文がある、と

ある本を紹介されました。

その本には、

人間が、1日の殆どを過ごす会社というフィールドこそ、

その人間がイキイキする場であらねばならない、という旨の内容が書いてあった、というのです。

そして、それを書いたのは、彼の母校一橋大の教授で、しかも、

それは、英語とドイツ語の本で、日本では出版されていない本だったらしいのです。

憲雄氏は、その本の話を私にしながら、おそらく理想の会社を、自分の手で、と

夢みたのではないか、と思います。

そこから、彼の会社ビジョンが始まったのではないか、と思います。

根源的な企業理念は、人間の幸福です。

青臭いようですが、

幸福です。

そして、本当に嬉しいことに、

昨日来てくださった若者達の中に、彼の志しの種があり、

ささやかながら、その遺伝子もバトンされているようなのです。

残念ながら、多くの人々、いや、殆どの人間は、

社会、世俗の洗礼を受けるたびに手垢が付き、

屈折し、ねじ曲がり、諦めて、純粋ではなくなります。

世俗の手垢がこびりついてしまったその精神や心理は、

純粋である事や、真摯である事がまるで、

青臭いように感じたり、未熟に思ったりします。

しかし、

そうでは有りませんよ。

脳は、そんなに甘くはないのです。

世俗の手垢がついて、屈折して、

ボタンを掛け違えたとたん、

脳は、そちらへとハンドルを切っていきます。

そして、人生は屈折し、ねじれ

崩れていきます。

そう言う俗物達と妥協したとたんに

脳は、その人の人生を、

さんざんなものへと、導いていきます。

さらに

現実は、経済優先、

やはり金だと勘違いしたとたんから、

金儲けを目的化した終わりのない競走の中へと巻まれていきます。

それが目的化されて人生が汚染されていきます。

最終的に行き着くのは、

疲労困憊した社会、そして

心の空洞化と虚無の世界です。

今まさに、先進各国や日本が間違いなく、そういう結末に向かっている事は、

わかる人は分かるでしょう。

憲雄氏は、あくまでもお金は必要条件であり、

絶対条件ではない、と言っています。

企業はお金を儲ける事により、

その社員の生活を守り充実させる責任がある。

そしてそれは

その人にとって生き甲斐になった働く事が、結果として、

社会への大きな貢献となる。

     ○ ○ ○

「一粒の麦死なずば、ただ一つにてあらん。 もし死なば、多くの実を結ぶべし」

これは聖書のヨハネ伝 12章24節の言葉です。

一粒の麦が、その身を差し出しそこで朽ちても、

やがてそこから芽がでてきて、遂には、

沢山の身を結ぶであろう、という、イエスの言葉です。

憲雄氏の願いは叶ったのだろうか。

しかし、昨日来てくれた若者達は、

なんと清々しいことであったか。

私には、そこには間違いなく、

真艫の風が吹いていたと思う。

私、目頭が熱くなりました。

感謝の限りです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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