日曜日に皆さんとお話しした時、
憲雄氏の東久留米支社時代、
「田下の歯を、なんとかしろっ」って言っておられたと聞きました。
あ〜中尾さん、心配してくださっていたのですね、と、
ちょっとほろっとなりそうになりました。
中尾さんは、一昨年に亡くなられました。
実は憲雄氏が、
東久留米の支社で、本部長か副本部長かを、やっていた頃、
歯がどんどん抜け出したのです。
それで、
私が何度も歯医者に行くように言ったのですが、聞きません。
忙しすぎて余裕がなく、
もう、家では寝てばかりで、めんどくさがりました。
それでも、歯はどんどん抜けていきます。
中尾さんは、その田下を見ていて、
心配されたのでしょう。
それで私はもうこれは強行手段にでるしかないと思いました…笑!
まず東久留米社屋近辺の歯科をさがして、当たりをつけ、
ある日、突然会社に乗り込みました。
会社のロビーに彼を呼び出し、
いまから歯医者に行かないと、
私はここに座り込みの抗議すると言いました。
会社の正面玄関前に座り込む、と
いいました。ら、
やっと観念したらしく、
頼むからやめてくれ、
休日の日もやっている小手指西友の
中の歯医者に行くから、
今日は帰ってくれ、と…。
約束どおり、小手指西友の歯医者に
行きましたが、もう手遅れ、
結局、50代にして、総入れ歯になりました…苦笑!
また、これはひばりヶ丘か、東久留米の時か、
もう曖昧にしか思い出せませんが、
毎日枕カバーに褐色の斑点がつくので、彼の頭を調べたら、
10円ハゲができており、そこが化膿して血がでていたのです。
その時も、即医師に行くように
会社に乗り込みました。
何せ、家では、貝になり、
私を無視して言う事を聞かないのですから…怒!
会社では、皆さんの手前、貝になるわけにはいかず、
やっと私の言う事を聞くのです。
本当に、困った旦那でした…苦笑!
一昨日の皆さんのお話しでは、
東久留米時代のインテージ社屋は、
夜中じゅう明かりが消えず
不夜城と言われていたと、お聞きしました。
大変なストレスの中の激務だったと
思います。

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