なぜね、受験勉強ばかりさせちゃいけないかと言うとね、
それは子供の感受性期(0歳〜20歳頃)に、
子供が獲得するデータを限定してしまうからです。
(感受性期についてはYouTubeで説明してますのでご覧ください)
脳にはね汎化っていう機能のがあってね、
それはある種の様々なバリエーションをデータとして保持していくことなんです。
例えば「あ」と言う言葉はまず映像として幼児の中に入力されていきます。
幼児は「あ」を映像として漠然とつかんでいる。
つまり、幼児とって「あ」も「お」も
なんとなく漠然と曖昧に掴んでいるから、
「あ」と「お」の間には、
子供にとっては、
限りないバリエーションの映像が広がっているはずなんだよね。
しかし、大人が「あ」と「お」の使い方や、そこから派生する意味を限定して教えてしまうと、
幼児は「あ」と「お」を限定にしか使えなくなってしまう。
つまり、その瞬間に、幼児の頭の中にあった「あ」と「お」の自由で奔放な限りないバリエーション映像は消えてしまうわけです。
つまり、言葉を早く覚える必要は無いんですよ。
実は、脳の中に汎化漠然としたあまねく、多様な世界を包括する機能があります。
それは「あ」と「お」の間に横たわる様々なバリエーションの形をそのまま保持していく機能です。
こういう決定的あるいは限定されないイメージは、
逆にそこから発する様々な芸術的発想や、
深く概念を広げ、
新しいことを発見していくための、
大切なデータになります。
これは、
いわゆるAIで言うところのディープランニングの保有データと同じような働きに、なるのですね。
だから感受性期全体(0歳〜20歳頃まで)に渡って、
子供が収集するデータを、
限定してはいけないのです。
まさに、その時期こそ、
子供の脳が
社会に制約されず、
自由に奔放にデータを収集していくんですね。
それを受験と言う勉強で阻害したのが日本の受験戦争です。
さらに、競争し、勝つということが、どんなにストレスがかかり、辛く大変であるか、と言うことに、
無自覚な大人や親たちが、
子供や青春期の若者たちの才能データの収集を、
邪魔したということですね。
頭の良い子に育って欲しいと言う。大人の身勝手な欲望が実は、
子供をダメにしてしまったということです。
それはYouTubeでご紹介した脳の意欲の部位「側坐核」を、
一方では抑圧し意欲を妨げ、
さらに受験勉強と言うストレスを与え続けた、
日本の親たちと教育制度があると、
言うことです。

秋茄子の実りの予感!!
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