もう50数年前にもなりますが、初めて長女を産んだとき、私はこの子頭の良い子に育てたいと思い、
当時の脳科学である「大脳生理学」の本を片っ端から読みました。
とても難しかったんですけど、その中で最も興味を惹かれたのが、脳の「汎化現象」ということです。
つまり、赤ん坊の脳が、この世に生まれて少しずつこの世のあれこれを認識をしていく過程のことを書いてあったのです。
赤ん坊の脳は、全く前提のない0状態からこの世の様々なことを認識していきます。
最初は極めて曖昧で漠然としており、
それを汎化状態といいます。
汎化状態っていうのは、いわゆるものが限定認識、されてない状態です。
それは、脳の記憶認識が、
様々な形や色や質感で分解されて認識されると同じように、
赤ん坊は感覚で、例えばりんごならら、りんごと言う限定的な認識を得る前に、
色や形や質感や様々なものを感覚的に記憶していくと言うことです。
この状態にあるときに、
いかにたくさんのものの側面といいますか要素といいますか、
それを感覚的に認知していくことが大事であり、
その後赤ん坊が単に物事を認識するだけではなく、
人間が、
様々に物事を発見し、
発明していく為の、
大きなデータプールになるであろうって言うことを、
知りました。
当時の私は20代の知識も経験値も本当に未熟な私でありましたが、
この脳の根源的な認識が「汎化」であることを知って以来、
子供はなるべく野に放ち、
大人の既成観念や限定的な認識を押し付けないという育て方をしてきました。
しかし、それは本当に大変なことで、常に学校や社会との確執だらけの道でした。
ある時息子の小学校の先生から、カンカンに怒った電話を受けました。
それは息子とその数人の同級生が近所の林で、火事を起こしそうになったと言う電話でした。
よく話を聞いてみると、
息子が小学4年生の頃だったと思うんですが、
息子の同級生がマッチ棒が数本入っていたマッチ箱を拾い、それをポケットに入れ、
隠し持っていたらしいんです。
そして、その子が息子と数人の女の子にそれを打ち明けると同時に、
偶然、林の中で捨てられていた鉄板を見つけたことから、
その鉄板で卵焼きをやろうという話しが盛り上がったらしいのです。
先生の話を聞くと、
息子たちは、それぞれ自分の家から卵を持ち出して、
それと同時に学校の裏にあるゴミ箱からジュースの缶をも持ち出し、
それに水を入れて、卵焼きの現場に運び、彼らなりに火事にならないようにしていたらしいのです。
まぁ、いずれにしても、山火事になりかねない大変なことで、
先生も学校側もカンカンでした。
ところが、私は先生から、
子供たちの好奇心や、
缶に水を入れて運んだことなど聞きながら、うかつにも、
思わず電話口で、ほーっと感心してしまったのです…笑
電話の向こうの先生は、
そういう私の態度に更に激怒していきました…苦笑!
その後、主人と私は学校に呼び出され、担任の先生に、
平身低頭にお詫びをいたしました。
ただそばにいた教頭先生だけが、
タオリ君は面白い子ですね〜、と言ってくださったのが、救いでした。
私の目には、
たまたまマッチ棒数本が入っているマッチ箱を拾ったA君と、
それを知ってA君と息子と女の子達が、
目をキラキラさせなが、
鉄板焼きパーティーをやろうと相談する姿が目に浮かび、
また、彼らが缶に水を入れて何度も学校裏と林とを、
エッコラ,えっこら往復したことなどが目に浮かび、
先生たちには申し訳ないけど、なんだかある種、感心したのです。
◯
私は学校のPTAなんか大嫌いでしたし、
学校行事とPTAがでしゃばってやる子供たちを囲い込む行事なんかも大嫌いでした。
いわゆる集団で押し付けてくる同調圧力が、嫌でたまりませんでした。
子供には、できるだけ、
大人が介入して欲しくなかったです。
まぁ、そういう母親に育てられたのですから、子供たちもかなり学校にとっては厄介な異端児だったと思います。
そして今思うと、それが彼らを生きにくくさせたり、また苦労したと思います。
ただ救いは、社会の学歴信仰と受験脳からは、
何とかまぬがれたか、と思います。
人間の脳は、大人が子供の脳に介入したり、いじくらなければ、
素晴らしいポテンシャルを持つものである事。
そして何よりも、
子ども達も、大人すらも、
面白い、と言う好奇心や、楽しいと言う喜びこそが翻って、
社会の生産性を産むんだと言うことに、
日本の社会が、
気がついてほしいと思います。

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