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私という軸は、私の人生において、一度も消えなかった

もしかしたら私は、ほかの人より、ずっとずっと自由に生きてきたかもしれない。

私の中には、いつも私と言う軸がちゃんとあって、

それは他の人々が群れになっていくのを、いつも外側から見ていた気がする。

そして、自分の実感にないもの、気持ちが入らないものには、従って来なかった気がする。

その分、私のことを変わり者だと思っていた人も多いと思う。

さらにいつも皮肉的にわれたのはら、私たちと違って芸術家なのよねとか、

何度も言われたのは、個性的だと言う言葉で、

私自身は、ちっとも自分を個性的だと思っていなかった。

今でも、音楽を聴いたり、絵を見たりすると、その音楽や絵と私と言う個人がしっかり向き合って言葉を交わし、挨拶を交わし、あふれ出てくる感情を交わしていて。

そこにいるのは、私と言う全くの個人であり、

上から下まで私と言う人間の精神と神経が絵や音楽と見つめ合っている。

私の存在は五感から外界を掴み取り、

そこには身体中の五感から入ってくる空気の気配や自然のそよぎや光の反射や土と水の匂いがあって、

決して、数字でもなく、数値でもなく、

生々しく、私の感覚と感性がゆらぎ、溢れ、振る舞い、そして生きていたと思う。

人間とはそういうものでしょ。

本来、人間とは屹立した個人であり、自由自在の自分を生きているはずでしょ。

私が私の心で何を思おうと、それは他人には関係のないことであり、

何を感じようとそれも私の自由でしょ。

そこだけは、絶対他人には譲り渡さないと思って生きてきた気がする。

それは全く私の中の自然性であり、

私の存在が世間によって書き消されようとした事は何度もあるが、

しかし、一度もかき消された事は無い。

それが人間であると私は思っている。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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