私は自分のことを、日本一の面白がりや婆さんだと思っている。
まあ、日本一ってのは、はずみで、そう書いちゃったんだけど…笑!
74歳の今でも、新しいことが大好きて、好奇心がめっちゃ強い。
今までに見た事の無いものや、既成観念の意表をつくものに出会うと、
手を打って喜び、面白がるからね。
反対に、自分でも想像がつくものや、
なんだかちょっと才覚のある者なら思いつきそうだなぁ、と思われるものには、
あまり興味がわかない。
自分の頭の中には、それを見分けるセンサーがあり、
意外や意表をつくもの、常識などとびこえて、美しいものと出会うたびに、
心がおどる。
言っておくけど、美しいものには、なんとも言えない秩序がある。
それは、いわゆるお行儀がよいとか、序列的な秩序じゃなく、
そのものが持っいる本来のものが結晶した美しさですよ!
私の頭の中は、ある種の空間になっていて、
ガランドウのそこに、音や色や形や形にならないものが自由に、悠々と、
或は、素早く飛びかい、交差するのが、面白い。
ある時、宮澤賢治の「わたくしという現象は」という言葉からハッと、
人間は現象なんだとわかった。
そのとたんから科学的というか、物理の世界観から人間の精神も肉体も、
更にその行為、行動もが、現象という、
つまり、光=波動でありドットの離合集散する現象として、
私のなかで現実化していった。
まさにひとつの電子現象として脳の中も、思考も言葉も、そして欲望も、
肉体は分子現象として、
意識は、抽象的な感覚や記憶が離合集散しておきる一回性の現象として、
自分が構成されているんだ、と分かっちゃったんだね。
とすると、執着することが、なんだかバカバカしいことのように思えて、
反対に自分はいつも新しいんだ、という、喜びというか、なんか新鮮にもので満たされた。
さらに素粒子の原子の世界は、常に、自分が解体され、新しく再構築され、
再構築されながらもゆっくり死へと成熟していくのだと思うと、
では、どのように成熟させていくのかにこそ、
唯一の私の意志が在り、
それこそが私が唯一持つ選択権であると思うのですよ。
つまり、私とは、私の先祖からさまざまに書き換えられてきた遺伝子が、
更に次の世代へと繋ぐために通過形としての私であり、
私が生きるプロセスにおいて、私流に書き換えることが、現世での役割であると。
となると、私は、遺伝子から、お前は、どう生きるのさ、と突きつけられているってことであり、
私は生きることで、私と言う現象のカタをつけなくてはならないのですよ。
現象と言うのは、無限バリエーションの中にあり、
だからこそ、私は、自分のおもしろがり癖が面白いと思うのです。
満開の梅並木![]()

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田下啓子
21時間前 · プライバシー設定: 公開朝目が覚めたらすぐウクライナのことが気になりiPhoneとテレビをみる。74歳の私は戦後2年目にうまれた。だから、
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