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◆いつもウ・ヨンウちゃんに励まされ!韓国ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」その7

※ 今日は小難しいです!

     ○

「私は自分の力で挫折したい。

お父さんは、いつも私の中に入ってくる。

でも

私は自分の力で、挫折したい。」

これは、ウ・ヨンウが父親に向かって投げつけた言葉です。

社会的弱者とされている

ウ・ヨンウの強烈な自己肯定でもあり、また、

つまらない取り越し苦労や、

余計な事に気を回す父親や周囲の人間に対する、

毅然たる自立の信念と決意です。

挫折まで親に介入されたくない、

弱者として扱われたくない、

という確固たる独立心です。

ここも、日本とは大違いです。

もう日本では聞くことが少なくなった「独立」という言葉。

世の中の荒波に揉まれ、

何から何まで、自力で判断し、自力で責任を果たし、

自力で自分を生きようとする意志。

こういう事は、今の日本では蜃気楼のように消えてしまいました。

逆にはびこったのが

親と子の「共依存」や、

母子密着です。

親は子供に、子供は親に依存し、

親も子供もが、依存し合う事で、補完し、

現実の厳しさから逃げる心理病理です。

子供が成人しても尚親が関わり、ぬるま湯の中を互いに依存してゆく結果、

子供の自活力や生命力は大きくディスカウントされたまま、

いわゆる、ゆでガエル症候群の中で病んでいきます

それに比べ、ウ・ヨンウは、

父親の介入を拒否し、 

厳しい世間の風に当たり、失敗も、挫折も、自力で、やると親をつっぱねます。

勿論そこには、深く傷つくであろう自分も、

自分で拾いあげねばならない。

それでも、彼女は、

自分は自分の力で挫折する。

      ○

人間の子供は他の動物に比べ、親との生育期間が20年近くあり、

その長い年月の為に、社会に旅立つ前は、

親から沢山の事を刷り込まれた中を生きます。

親の感情や社会観や、価値観の良いところも、悲観的なところも子供に刷り込まれていきます。

勿論親も人間ですからネガティブな側面もあります。

子供が親から直截的に、感情的に受けるのが、

他人には見せない親の赤裸々なネガティブな姿です。 

親のコンプレックスや愚痴は否定的感情などなどが

育成の長期に渡って子供の無意識に刷り込まれます。   

※実は無意識に刷り込まれたこれらが厄介なのです。

これが人生の中で、その人を苦しめるのですが。

ただし、これはすべて

●親の個人的な姿とそのローカル情報にすぎません。  

しかし、

子供は、それが親の個人的なローカルな情報と思わず、

誰にでも通用すると錯覚したまま、社会へとスタートします。

親から刷り込まれた事が、実際の社会に於いては、

はたしてそのとおりなのか、どうなのか。

それは人間として正当なのか、それとも個人的な歪みなのか、は、

その子供が社会人として、社会へスタートした時から試されていきます。

そして子供は親に保護されていた世界よりもっと複雑で、

大量の情報と感情が行き交う大きい世界(社会)で、

さまざまな事に直面しては、

失敗したり、挫折を繰り返していきます。

その直面する中から、親から刷り込まれた事の真偽を、

●自分の頭(脳)と身体で、体験的に学びとっていくのです。

ところが今の日本には、こういう生きてゆくための精神的な厳しさが

なくなってしまいました。

豊かになった日本の社会では、社会で生きる事の、

ほんとうの厳しさが、

ボヤけているのです。

※ これからは、経済も社会事情も厳しくなるでしょう。  

その時、軟弱な日本の若者は逞しくしぶとく耐えていけるだろか、という懸念が、

私にはあります。

そういう日本の状況に比して、

ウ・ヨンウの言葉と行為はなんて

凛々しいのでしょうか。

      ○

こういう脚本を書ける脚本家や演出家が、日本にどれほどいるだろうか。

羨ましいかぎりです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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