イーロン・マスク氏は汎用性人工知能のOpen AIの創設にも関わっていたが、
アルトマン氏と✖︎になり途中から抜けてしまいます。
その理由については、本のなかには詳しく書いてなく、わかりません。
それにつけても
おそらくチャットGPTを 始め 、
AIの汎用化は、あっという間に世界的に広がっていくと思います。
ただ私が警戒すべきは、いよいよ現実として AIデジタル社会へと移行する中、
もしかしたら思いもよらない障害やリスクがでて来ることもありのではないかと、私は思っています。
もっと慎重にするべきではないかと、私は考えています。
中でもイーロン・マスク氏が現在すすめているAI活用プロジェクトに、
脳に電子チップをはめ込むニューラリンクのプロジェクトがありますが、
これも、人間と AIとをかなり短絡的に結びつけている発想であり、
私は気になります。
ただ彼もシンギュラリティによるAIの暴走も予測しており、
そのリスクを克服するものとして,
人間の脳に人工知能の電子チップをはめ込むという事らしいのです。
その内容は詳しくはわかりませんが、
私には、なんだか変ない気がすると同時に
あまりに短慮で節足さを感じます。
そもそもAIは大量のデジタル情報の統計、分析、予測のレベルであり、
人間の意識及び知能形成についてはまだまだ未知数です。
私は人間の知能や意識というのは、
いわゆるデジタルデータの量による分析と統合ではなく、
もしかしたらまだ解明されていない
脳のアナログ機能が関係しているのではないか、と思っています。しかし
これも、私の素人的独断なのですが。
※私はデジタルには次があり、それは脳のアナログ機能によって,デジタルが統合されていくのではないか、と
予測しています。
では、根本的な問題として
人間の知能はどのように形成されてゆくのかというかというと。
実は
身体の体験が知能の基盤になります。
オギァーと生まれた赤ん坊にはまだ知能がありません。
知能は、その赤ん坊が生まれた瞬間から彼の五感からの感覚入力とと身体の体験とで、
初めて知能の基盤が出来ていきます。
その基盤を基礎に、赤ん坊はさまざまな身体の体験から感覚入力をし、
やがて言葉を覚え、
それらが脳の中で編集されながら、
知能が形成され、発達していきます。
何を言いたいか,というと
人間はまず身体からはじまり、
その後、身体と脳のコラボレーションが始まると、私は言いたいのです。
その観点から見ると、現時点において
AIは、デジタルデータからの統合予測はできますが、
人間のように身体からの入力はありません。
五感により感覚入力し、記憶体験にコネクトし、
逐次意識を編集できる能力は AIにはありません。
そこが現時点ででのAIの限界ではないかと私は考えます。
勿論、 AIに収集されるデータの中には
五感から感覚入力されたものも入るが、それはそれとして、
問題は、
身体から瞬間瞬間感覚入力される
感性や感情がつくる体験入力世界も、
それによって編集されていく
その人間の経験値と創造の世界も、
個々の人間によって全くまちまちの
その人固有の世界である事です。
人の身体はそれほど個性的なのです。
そのひとりひとりが
自律的で個性あふれる身体と脳世界に、
電子チップを埋め込み、
人工知能と緊密化させるなどという事が、
果たして必要であるのかどうか。
そういう風に、
人間を均等化する必要があるのかどうか?
私は絶対,自分を均等化されたくないです…笑
余りに,人間の存在を軽く扱う短絡思考です。
確かに重症な障害を持ち、
身体を動かせない人の脳に電子チップを埋め込み、
意思の疎通をはかることができるということも、
目覚ましい効力になり得るかも知れませんが。
それはそれとして、
もっと慎重に、と私は思います。
◯
問題はIT成金の人達には、
ある種AIテクノロジーへの信仰があり、
脳を優先する彼らの脳が、
かなり偏っている事です。
そして困ったことに、
この人達がその財力に任せて,
世界の経済を引っ張ろうとしています。
そしてまだまだ拝金的な世の中は、
その人達が起こすリスクに対しては
盲目的で、無防備です。
このまま、人間認識や、思想や哲学が希薄なまま、
彼らに引っ張られてうかうかと、AIテクノロジー社会へと入ってしまったら、
もしかしたら取り返しがつかないかもしれない、と
私は考えます。
次回、私達は何をしなければならないかについて、
私の考えを書きます。
つづく。

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