おそらくこれから汎用性AIの活用があっという間にあちこちで広がっていくでしょう。
そしておそらくあと数年でAIが人間を超えるというシンギュラリティがくるでしょう。
その時私たちが AIに負けない為にはどうしたらいいか、私の考えを書きます。
AIに負けないためには
まず、AIが氾濫する世の中の流れに、
流されないことです。
なぜ流されてはいけないかについては、次回詳しく書きますから、是非お読みください。
次に AIに対しては、
生の人間(自分)の力で乗り越えてしまうことです。
つまり、
人間(自分)の知能と身体で獲得した
知識と
技術を、
磨くことです。
自分の獲得した学問、知識、技術
そして経験値や体験知を
磨き上げることです。
更に、
生き方の思想,哲学を磨き上げること。
要するに,
人間としての自分を磨き上げることです。
今まで獲得した自分の個性を磨き上げることです。
なぜなら、
人間一人ひとりの中には、
その人でしかあり得ない、
唯一無二のデータ世界があるからです。
それが大事なのです。
前回書いたように、
AIは体からの感覚入力も、
また内部からの欲求も、
内面における
葛藤もできません。
詳しく説明すると、
感覚入力とは、
痛いっとか、暑いッとかいう、外からはいる刺激のデータです。
それとは反対に、
お腹がすいたとか、〜したいというのは、
内部からでる反応データです。
そして心が折れて苦しいとか悲しいというのは内面でもがくデータです。
つまりそれらは、人間ならではで起てくる現象です。
人間が生きることでおきてくる現象のデータ,実感的なデータです。
AIがどんなに大量のデータを持ち、統計分析,予測しても、
私達個人の中の
生きているゆえの現象のなまデータ、
すなわち
その人間独特の感性や感情や、
内部に起きるさまざまな諸現象は
AIには起きないからです。
たとえ AIが進化して人間らしい事に相当するようなことがおきたとしても,
それはあくまでも擬似的仮想と予測のものであり、
人間のように
身体と心に突き刺さるようなものにはなりません。
心
意識もそれぞれの人間固有のものであり、
また、その人間の真実であり、
その葛藤が知能になり知恵になり、
やがては成熟したその人総体になってゆきます。
成熟した判断、成熟した技術、
そして、成熟した包容力(人間愛)へとなっていきます。
そのように人間がさまざまな場面で
瞬間瞬間に獲得し、
その集積の上に起きる成熟を、
AIは持つことができません。
ある程度は推測と学びで予測的人間もてるかもしれませんが、
個々の人間の深さには及ばないでしょう。
なぜなら、それは人間の生身の身体こそが獲得できるものだからです。
例えば映画「どこかに美しい村はないか」で、
田んぼでばっちゃたちが苗を手植えしますが、
このばっちゃの指先の本当にわずかで繊細な技術、
例えば指先の本当に微妙でわずかな差異で、
苗の根がしっかりと埋め込まれる、といったようなことは、
AI機械にはできません。
また田植えのシーンや林檎の収穫のシーンなどにある
人間が集団で行う中にある、
集団だからこそ、そこで獲得できる、
さまざまな感覚や認識(気づき)や
喜怒哀楽の感情,思想なども、
AIじゃ,無理だからね。
なぜなら、生身の人間どうしだからこそ起きるコミュニケーションのオーラだからです。
そしてAIが入れば入るほど、人間どうしなコミュケーションも、
集団の中の賑わいも、消えていくでしょうから。
結論は、
そう言う自分の人生で磨き上げたことを大切さにし、
安易なにAIに依存したり、
自分を譲り渡さないことが
ものすごく大事だと、私は考えます。
それともう一つ大事で,重大なことがあります。
それは
AIを作る側の人間が、
どれほど広く、深く、多様で、詳細に、
人間に対しての、
知識と認識を持っているか、です。
たとえばイーロン・マスク氏などは、
人間に対して、どれほど深淵な叡智をもっているか、
ということです。
イーロン・マスク氏だけではありません。
AIを開発、事業化する誰もが、
その人間としての資質が問われるのです。
それに対しては
私は、大いに疑問を持っています。
それは次回書きます。

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