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居眠りしながら3、ファンは鏡?!

ファンっていうのはね、その作家の鏡なんだよね。

だから、変なファンがつくのは、

やっぱりその作家の何かが変なんだよね。

ここんとこ漱石の預言シリーズを書いてるけど、漱石にはねそういうファンがついてないんだよね。

例えばね、太宰とかさ、三島のファンには悪いけどさ、

彼らのファンには、一種信者みたいなファンがいるよね。

それは宮澤賢治も同じだね。

なぜだかわかる?

じゃあ逆に、なぜ漱石そういうファンがつかないのか?

あのね、太宰とかね、三島とか賢治のファンには悪いけどさ、

彼らね、ちょっと甘ったれなの。

まぁ、軟弱とも言えるけど…苦笑!

それに比べてね、漱石は冷めてるよね。

そして1種の痛快さがあるから、あんまり感情の湿度がないんですよ。

もっと言うとね、太宰とか、三島とか賢治はね、浪漫とかさ、夢とかね。幻想とかがあるんだけどさ、

漱石にはないからね。

少なくともね、漱石は、夢を与えようと思って書いてないから…笑!

むしろね、人間の現実を突きつけてきてんだよね。

それとね、もう一つ大きな違いがある。

それはね、女性感が違うの。

太宰もね、三島もね、賢治もね、女性に甘えてるの。

彼らの描く女性はね、男の幻想の中から抜け出てないのです。

ところが、漱石の各女性たちは、女性としてとても厳しいものを男性に突きつけてきます。

女性たちが心を開いてないんですよ、漱石に。

漱石にしてみれば、どこかすれ違う。あるいは理解不能なところがある。

それをね、漱石が突き止めていくわけです。

そして漱石はだんだんね、

女性の本質っていうか、もっと言い換えると、

女性の素晴らしさが、だんだんわかってくるのですよ。

女性の価値がわかってくるって言ったほうがいいかな。

だからね、遺作となった「明暗」は、

おそらく女性の本質を突き止めようとして書いていると思います。

当時の男性優位の社会で、

表面では男性社会に従っているように見えるけど、

実は女性はもっと奔放で、自分に正直に生きていることを、漱石はわかっていたと思います。

ただね、漱石の本を読んでも、

夢は見れないからね。

そりゃ、太宰や三島や宮沢賢治を読んだ方が夢っていうか、幻想をモテるよね〜。

だからさぁ、ファンがつくんでしょ。

私はね、そんなもんいらんからね、

漱石が好きなんです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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