ファンっていうのはね、その作家の鏡なんだよね。
だから、変なファンがつくのは、
ここんとこ漱石の預言シリーズを書いてるけど、漱石にはねそういうファンがついてないんだよね。
例えばね、太宰とかさ、三島のファンには悪いけどさ、
彼らのファンには、一種信者みたいなファンがいるよね。
それは宮澤賢治も同じだね。
なぜだかわかる?
じゃあ逆に、なぜ漱石そういうファンがつかないのか?
あのね、太宰とかね、三島とか賢治のファンには悪いけどさ、
彼らね、ちょっと甘ったれなの。
まぁ、軟弱とも言えるけど…苦笑!
それに比べてね、漱石は冷めてるよね。
そして1種の痛快さがあるから、あんまり感情の湿度がないんですよ。
もっと言うとね、太宰とか、三島とか賢治はね、浪漫とかさ、夢とかね。幻想とかがあるんだけどさ、
漱石にはないからね。
少なくともね、漱石は、夢を与えようと思って書いてないから…笑!
むしろね、人間の現実を突きつけてきてんだよね。
それとね、もう一つ大きな違いがある。
それはね、女性感が違うの。
太宰もね、三島もね、賢治もね、女性に甘えてるの。
彼らの描く女性はね、男の幻想の中から抜け出てないのです。
ところが、漱石の各女性たちは、女性としてとても厳しいものを男性に突きつけてきます。
女性たちが心を開いてないんですよ、漱石に。
漱石にしてみれば、どこかすれ違う。あるいは理解不能なところがある。
それをね、漱石が突き止めていくわけです。
そして漱石はだんだんね、
女性の本質っていうか、もっと言い換えると、
女性の素晴らしさが、だんだんわかってくるのですよ。
女性の価値がわかってくるって言ったほうがいいかな。
だからね、遺作となった「明暗」は、
おそらく女性の本質を突き止めようとして書いていると思います。
当時の男性優位の社会で、
表面では男性社会に従っているように見えるけど、
実は女性はもっと奔放で、自分に正直に生きていることを、漱石はわかっていたと思います。
ただね、漱石の本を読んでも、
夢は見れないからね。
そりゃ、太宰や三島や宮沢賢治を読んだ方が夢っていうか、幻想をモテるよね〜。
だからさぁ、ファンがつくんでしょ。
私はね、そんなもんいらんからね、
漱石が好きなんです。

コメント