例えば雑木林の木も、立て込んだ森の木も、なぜお互いが突き合わず枝を伸ばしているのでしょうか。
そこには微妙なる木の感覚センサーが働いているからです。
もっというと、木の神経センサーです。
私達日本人は、木も草も川も風も岩さえも、
その生命センサーを持って生きている、という自然感を持っています。
自然は神でもあり、母でもあり、その大いなる全体性に包まれ、
人間はその片隅にいきている、という微妙な感覚センサーを持っている民族なんですね。
そのセンサー(神経回路)はどこかで、自然と繋がっている事を、なんとなく分かっている民族です。
だから日本人は古代から自然を詩(和歌)にしてきました。
しかし西洋キリスト教は、全知全能の神との契約のなかに人間は生きています。
その神の敬愛に包まれて、神の論理の中に人間が生きている,という存在観なのです。
だから残念ながらピーターティール氏には、私達が持つような自然との感覚がありません。
彼の頭の中は、ロジックに説明がつく文脈しか、わかり得ないのでしょう。
例えば、皆さんは、人間の文明がこのままテクノロジー化の道を突き進むと思いますか?
或いはこのまま超テクノロジーの社会になった方がいいとお思いですか。
更に皆さんは、その社会に適応できますか。
しかしピーターティールは、彼は、これからは終末期の世界と捉え、
それを克服するのは超テクノロジー化された世界だと、思っているらしいのです。
それが人間の幸福な選択になるとも、思っている。
だからこそ、
更なるAI化社会や、イーロンマスクがやっている火星移住計画や、
脳の中に電子チップを埋め込むことが、
人間を救うと、思いこんでいます。
では皆さんは、火星の砂漠の中の人工都市に住みたいですか?
A Iに指示される世の中に住みたいですか?
頭が良くなる為に、脳に電子チップを埋め込みますか?
つまりピーターティール氏の頭の中で組み立てられた人間像には、
人間の情緒や、人間が何を幸福と思うか、という、
人間が極めてデリケートに神経を揺らがせながら生きているいる
「いきもの」である、という感性が、抜けているのです。
それは同様に、トランプの頭の中も、そうだし、彼の取り巻き達もそうだからこそ、
簡単に人を暗殺したり、爆撃で、罪もない人々が死ぬのだ、だという事に、
極めて無神経で、いられるのです。
そこには、
神のもつ正義が優先されるのです。
それはイスラムの世界も同じです。
その神は、
人間が作り上げた神話の「人格神」です。
冒頭の話に戻りますが、世界はもう石油なしには成立しなくなりました。
そして高度テクノロジーの社会になればなるほど、ロボットが蔓延り、
人間の生々しい感情や、豊かな情操は、不用になっていきます。
きっちりと、効率よく、常に機械的デジタルの生産性に組み込まれていく社会。
そこにはもはや、
人間の神経の揺らぎやアナログ的な感情の情操は、不用になっていきます。
残念ながら人間はアナログ的存在ですから、そうなると、人間がどんどん壊れていきます。
ただ、私は、人間はそちらを選ばない気がします。
気がするなんてことも、曖昧な私の直感と情操からそう思うのですが。
おそらく、人間はまた、自然の牧歌性の中で生きることへと、
戻って行く気がします。
美しい田園と、
心地よい風が吹き、
木々がそよぎ川が流れ、
鳥たちは、虫たちや動物たちと一緒に生きる自然を取り戻そうとすると思います。
超テクノロジーの世界はある程度進むと思いますが、しかし行き詰まるでしょう。
そして人間は、ハッと気づき、また自然の中に戻ってくるでしょう。
その時のために映画「どこかに美しい村はないか」を創りました。
あの映画の中で菊池青年はいいます。
「わからない事があったら自然に訊く」と。
これが全てです。
この謙虚さを失っているのが、
ピーターをはじめ全てを人間の力で取り計ろうとする、人間達だと、私は思います。
もう一度、言います。
人間はいつかきっと、牧歌の中に、帰って来る。

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