私は量子コンピューターについて話すYouTube見ていたのだが、
見終わったその後しばらくして、
なんだかAIも、量子コンピューターも、
大したことない、と思った。
なぜかそういうふうに、
私の頭の中で、言葉が響いたのである。
空の桶の中で、落下物の音が響くように、
その言葉が響いたのである。
それは、全く根拠があるわけではないし、ロジックな説明もつかないし、
ただ、私の中で、AIも、量子コンピューターも
アホくさと思ったのである。
その対極には、訳がわからないけど、
人間たる私がいた事は確かです。
人間が、そんな軽薄なものに負けてたまるか、と言うような、
意識もあった気がする。
私たちって、何に囚われているんだろう。
私たちって何か自分で作り上げた妄想を、
偉そうに価値づけていない?と
私が私に言った。
もうAIもコンピューターもどうでもいいと思う私がいる。
iPhoneだって人間の手慰みじゃないかと思う。
なぜこういう発想が私の頭に浮かんだのかわからないけど、
わからないことがあったら自然に聞けと言う、
菊池青年の言葉の中に、
何か本質的なものを見たような気がする。
そこには奢れる人間ではない、謙虚な私達がいる。
それは、科学万能に踊らされている私たちが気がつかなければならない、
大切なことのような気もする。
◯
娘が言ってくれた、
お母さんと能勢さんにしか撮れない
映画を撮ったら、と。
あの菊池青年の言葉はまさに、
私と能勢さんにしか撮れない、
映画だったと思います。
それを反芻しながら
少しずつ何が大事なのか、見えてきた。
これから、能勢さんと私にしか作れない映画を、
撮るつもりです。

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