朝ドラの「ばけばけ」面白いねー。
これを見てると、花開く人(女)はどこでも花開くねー。
どんなに悪い状況にいても、
輝く人は輝く。
つまりは、その人の生き方、在り方なんだと、
私は思っている。
だから私は日本のフェミニズムもフェミニストも、
観念的で理屈っぽく、嫌いなんです。
例えば平塚らいてうは、樋口一葉を見下して、
上から目線で批判したけど、
私から見たら、一葉の方が素晴らしい。
果敢に男社会に挑戦し、
最後は若い男性作家達からは、
憧れの目で礼賛されていた。
そればっかりじゃないよ。
彼女の晩年と言っても、24.,25歳の若さなんだけど、
その作品は,見事と言うくらい、
男社会の不条理に対して、
女をナメんなよ、と、噛みついている。
遺作「われから」は不倫する女を描こうとしていたが、
残念ながら結核に倒れてしまった。
これは私の推理ですが、
最後の「われから」は、
我から別れてやる、か
我から捨ててやる、で、
つまり、つまらない男は、
我(自分)から捨ててやる、という事ではないか、と、
思います。
ただこの作品は誰も評論していない。
多分,誰も理解できていないのではないかなぁー。
「ばけばけ」の小泉せつさんも、家族を養う為に、八雲の家の女中に入る。
それは決して彼女の本意ではなかった。
しかし彼女の聡明さに八雲が惚れ込んだ。
私が何を言いたいか、と言うと、
ホンモノのフェミニストとは
いつ、どこにいても
賢さ、逞しさ、粘り強さ、そして、
家族や人間に対する、
大きな包容力という、
女の魂を持っている
強いて言うなら、
その母性を
フェミニズムと言う。
最後になぜ私が漱石を高く評価するのかについて。
漱石は平塚らいてうにはダメだしをしたが、
一葉は高く評価していた。
つまり女性の素晴らしさの、
本質的な事を分かっていたのです。
そして漱石の遺作「明暗」は、
女性というものが自分たち男にくらべ、
ある種自由で奔放な自分自身の世界を生きていくことを、
書こうとしていたように、
私は思います。
しかし漱石も病に倒れて筆を折ったが、
多分彼は、そういう女性の中にある、
逞しい生命力を
尊敬していたと思います。
まーこんなところで、私のフェミニズム論も
一応筆を置きます。

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