戦後ずっと私たち日本は、アメリカを始めとする西洋の経済と文化の中に取り込まれてきました。
それは新鮮であると同時に、ある種、私たちの日本文化を消耗させるものでもあったと思う。
崩壊すると言っていいのかどうかわからないけど、
確かな事は、おそらくアメリカは衰退していき、EUはバラバラにばらけていくでしょう。
今まで西洋が先導していたその箍(タガ)が外れていく時代に入ったと、私は考えます。
世界は、それぞれの国が、それぞれに自立しなければいけない時代が来る。
これまで私たちは西洋人のアイデンティティーの中に、取り込まれ、
取り込まれているが故に、
その西洋的価値観や対立と過当競争の中で、
日本は本当にくたびれてしまった。
西洋のアイデンティティーは論理と二項対立の世界です。
そして日本は二項対立の国ではありません。
曖昧であるが、漠然とした、
互いの
暗黙の理解の中で、
共存しようとするアイデンティティの国です。
◯
最近私にわかってきたことは、
最も優れて、かつ美しいのは、
論理の世界ではないこと。
それに基づいた意識の世界でもないこと。
最も重要で優れているのは、
感覚の世界であること。
こう書いても、何が何だかわからない人は多いと思いますが、
これから明らかにされていくのは、
感覚こそが、或いは感性こそが、
実は、私たちの行動の根源にあり、
世界を作っているのだと言うことです。
実は、私たちは
感覚的に世界を把握しているのですよ。
反対に、人間の意識による論理と論理の間には、限りなく隙間があり、
その隙間に、時間と、空間と、無限の可能性が広がっているんです。
論理を主体にしている限り、その無限の空間は、論理にかき消されてしまいます。
そして、私の考えでは、
これから、いわゆる01の二項対立の
デジタル世界から、
大きく全体を俯瞰する時代に入っていくと思います。
もしかしたら、量子コンピューターが、それを解き明かしてくれるかもしれないと、私は考えています。
が。
私が言いたいのは、量子コンピューターに明かしてもらわなくても、
そもそも日本とは、そういう国であったこと。
私たち日本人の文化と教養の世界は、
いわゆるニ項対立の、あれか、これかの、対立文化ではなく、
西洋の一神教の世界でもなく、
多種多様の、
八百万の神の国であったこと。
日本は、もともと、
あれも、これも、すべてが、
一つのコスモスの中にあるという世界観を持った国なのです。
それは、人間だけではなく、
草も木も動物も魚も、
水や風の自然現象さえも、
そのみんなが
おおいなる自然の中で、
連続し,また不連続して生きると言う、
いわば、おおいなるアナログの世界観的感性をもっている国なのです。
そして
AIも、量子コンピューターも、
人間の道具に過ぎません。
これから起きるパラダイムシフトの先には、
それぞれが、それぞれの歴史と伝統と文化を持って並立する世界へと
変容すると思います。
そのモデルの国として、
日本も、日本人も、誇りと自信を持って、
新しい時代を作っていってください。
◯
この事は、まだ皆さんにはピンとこないかもしれませんが、
いずれこの国の優れたことが、
最評価される時が来ると、私は確信してます。

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