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人間は、先に行為,行動が起き、その0.5秒後に、意識(認識)がおきる。

人間は、先に行為,行動が起き、その0.5秒後に、意識(認識)がおきる。

つまり人間は、

先に無意識領域での、

感覚、直感があり、意識はそれを説明していく。

その無意識領域での、感覚、直感は、

さまざまな経験と共に磨かれ、成熟して行く。

知性とは、その感覚、感情、直感で捉えた世界に、

方向性を与えてゆく。

自分の行為、行動を、検証して、シュミレーションし、予想、予測の中で、自分に方向性を、与えてゆく。

そういう事を、脳がやってくれているのですね。

人間の大間違いは、

先に意識がある、という勘違いをし、

意識で自分の方向性を、決めようとしていること。

そして、その人間が、無意識領域に起きる、

自分の自然性(感覚、直感)で生きようとする事を、

阻害し、

意識で決定して生きようとする事。

更にもっと笑失すべき事は、 

人間にとって最も大切なことは、その幼児から青年期になるまでの、

多様な経験値の中で、感覚、感性、直感が磨かれて行く。

それは「遊び」という快感の中で、磨かれ、積み重ねられて行くのに、

人間の親は自分の子供を干渉し、介入し、

その子供の自然性を、阻害し、

経験値を限定し、

いよいよ脳世界をダメにしてゆくことです。

こう考えると、いかに受験という事が、愚かなことであるか、

わかるでしょ。

日本は、そういう、脳世界を限定された子供を、

多量に作りだしている国です。

この事を、理解していると、

IT時代の、経験値が伴わない知識と情報が多量に、

人間の脳の中に入る、

この I T時の、知識と情報が過剰な世界が、

いかに人間の病理を起こすかがわかるでしょう。

そもそもインターネットは、アメリカの軍の情報組織用に作られたものであり、

それは軍情報という🔴限定的範疇をもっていたからこそ、有効であったのです。

しかし、現在は、洪水のように、無原則に情報が氾濫している。

もう、お分かりですね。

これからは、確実に、その経験値が豊富な人間、

また、成熟した経験値を持つ人間が、

生き残っていくでしょう。

反対に、

AI社会とは、それはハメルンの笛吹の音につられて、

多くの頭デッカチの、

知識、過剰の人間たちが、

川へと連れて行かれる時代です。

もし本当に賢く、聡明な子供を育てたいとするなら、

子供に全幅の信頼を置き、その生命力に、

親が干渉せず、介入せず、

子供を野に放つ事だと、思います。

もっと厳しいこと言うなら、

子供に過剰な愛情をかけず、

期待をしないことです。

それこそ、子供にとってはうっとうしくて、

迷惑なことですからね…笑!

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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