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◆ 素晴らしきイ・チャンドン、そしてダルデンヌ兄弟!

イ・チャンドン監督も、ダルデンヌ兄弟監督も、ここまでやり切って貰えると安心する。

と言うのは、そこには、人間のすべてを見回した上での、

彼ら監督の道義があるからである。

情念や怨念を超えた人間の裸形を見るからである。

作り手が、よほど厳しく自分を精査し、

私的感情やナルシズムやコンプレックや心理的汚辱を取り去っていなければ、

彼らのような映画は撮れない。

大概の映画は、そういうことすらなく、

男女のあれこれや、家族のあれこれ、さらには

社会の不義や矛盾をあぶりだしたり、悪と闘うなどの物語がほとんどです。

ドキュメンタリーになると、やたらジャーナリスティックな社会正義や告発、さらには、

美談のヒューマンレポートはなどが、未だに幅をきかしている。

それらはいずれも、人間の表面、社会の表層で起きているドラマであり、

大概の映画は、そういう社会の上澄を描くところで終わっている。

まあ、そこが限界でもあるのだろう。

どころが、イ・チャンドンも、ダルデンヌ兄弟も、

その人間の行為の動機が何であるか、

さらに、その動機のもっと根底には、何があるがまで、つきとめ、

それらすべてが剥がされた、裸形の人間を撮ろうとしている。

そこから考えうる人間像を彼らは、自分の道義をしっかりと背骨にして、

脚本を作り、撮影をしていく。

それらは、人間の目の位置からみた人間ではない、かぎりなく

神の位置からみえる、人間、衆生の姿である。  

この位置に立つともはや感情は波立たない。同情も共感もない。

ひたすら、深層の動機に捉えられた人間の姿を追い、割り出してゆく。

それは、

生きることは苦である、と言った仏陀のことば、

貧しい人は幸いである、と言ったイエスの言葉の原点でもあり、

人間の原風景でもある。

自分の既成観念の何もかも、一切の私的感情を取り去り、先入意識も、

世俗的価値意識も、すべて払い落とした上で、

深く人間心理の普遍的深層を、

脚本とカメラが掘りだしていく。

善も悪もない、まったくフラットに、

人間とはどうものであるかを、無機的なレンズを通して、非情に追求してゆく。

しかしそこには否定はない。

正義をかつぎたすことも、ない。

ただ、人間のすべてを肯定し尽くす、監督の眼差しがあるのみだ。

だからこそ、私は安心し、

とくにえぐいシーンも、受け入れながら、

彼らの映画をみる。

そして私事で恐縮だが、私もなんとかそこに辿り着きたい。

そして最後に一つだけ、苦言をイ・チャンドン監督に、

申し上げたい。

女性に対しては、ダルデンヌ兄弟の方が尊敬を持って女性を描いています。

イ・チャンドン監督の方が甘いです。まだ、少し女性幻想があるのでしょうかね〜。

ダルデンヌ兄弟監督の描く女性は逞しく理知的です。

女性の中にある芯がちゃんと描かれており、嬉しいです。

以上です。

※ おすすめは、

・ダルデンヌ兄弟「ロゼッタ」

・イ・チャンドン「ポエトリーアグネス」

です。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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