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◆イ・チャンドン監督とダルデンヌ兄弟監督のシュールなる映画世界。

韓国の映画監督イ・チャンドン監督の世界も、ダルデンヌ兄弟監督の世界も、

一見ヒユーマンドラマのように理解されがちだが、私から見ると

筋金入りのシュール世界である。

イ・チャンドン監督映画「オアシス」も「シークレット・サンシャイン」も

「ポエトリーアグネス」も、「バーニング 」も、

そこには一貫して、言葉にはならないイ・チャンドンの詩情が流れている。

しかしその詩情も、

いわゆる感情、感傷はなど、情緒的甘さは1ミリも潜ませない、

鋼鉄の詩情であり、

だがしかしイ・チャンドン監督の人間への愛情が溢れている。

「オアシス」では、世界をどのように感覚で現実を認識しているかを、

観客が鋭い感覚で、自己の内面を見極めていないと、

この映画は、何が何だかさっぱりわからない。

さらに「シークレット・サンシャイン」も「ポエトリー・アグネス」も「バーニング 」も、

人間や社会の不条理に対してイ・チャンドンの強い信念が貫徹しており、

特に「バーニング 」では、

イ・チャンドンの怒りが、映画の背後に、不動明王のように見えた。

そしてなぜシュールかと言うと、

彼が描く世界は、

言葉にならない、つまり、それは、倫理でも正義でもない、

説明やロジックの埒外にある感覚と感性が、呻く存在の悲しみである。

それに比べてダルデンヌ兄弟の映画作品は、きわめて論理的だ。

ダルデンヌ兄弟監督の描く不条理は、感覚ではなく、

論理を突き詰めたところに見えてくる人間の条理を

突きつけてくる。

感性というより理知で迫ってくる。

だからスカッとしている。

詩は、えらびぬかれた短いことばと、その行間の沈黙が、

空間と状況をつくりだしてゆく。

イ・ チャンドンの世界は、詩のようにすすむ映像の行間の空間に、

広く大きく人間の世界が、横たわっている。

一方のダルデンヌ兄弟監督の世界は、

確かなる文脈を持って映画が進行し、

その文脈の両側には、

感覚と感性が光のようにここぼれている。

イ・チャンドンの映画もらダルデンヌ兄弟監督の映画も、難解である。

しかし見事なまでに、人間とは何か、社会とは何かを極めている。

彼らには妥協なんてない。

チャンドンは、詩の行間を通して、 

ダルデンヌは、

論理は、論理を突き詰めながら、

人間の条理とは何か、その根源性とは何かを

極めていく。

そしてどちらの監督の映画も、

もうこのシリーズでは言い尽くしているが、

豊かな人間愛の世界でもある。

それが、

条理も不条理も、合理も不合理もすべてを包み込んで人間を見ようとする、

映像作家の

眼差しなのだと私は思う。

みごとである。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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