「はなてばてにみてり」は、道元「正法眼蔵」の<弁道話>の一節です。
訳は、
「放てばかえって手にあふれ」
(禅文化学院編)
いいでしょう!
なんて素敵な言葉だろう。
執着を手放し、こだわりから抜出し、そこからの解脱は、
語れば口から生き生きした言葉が溢れ、
心は自由自在になると。
また、語らないことも素敵だからね。
ただし、
そこに到達するには、厳しい修行が必要であり、その体験をとおしてしか手に入らないとも。
次にイエスの言葉から。
「狹き門より入れ、
滅にいたる門は大きく、
その路は廣く、之より入る者おほし。
生命にいたる門は狹く、
その路は細く、之を見出す者すくなし。」
(聖書・マタイ伝7章13ー14節)
道元もイエスも、同音に私に、
最も厳しい道をえらびなさいと言います。
そしてそれこそは、
心が自由自在になる道であり、
様々なる煩悩から
解放されることでも有ると。
私は、自立して、
様々に私を苦しめている
執着や所有の感情から脱すると決意し、
湧いてくる感情を砧で打ちなめしながら
実行!
捨てられるものは全部捨てた。
おかげで随分強くなりました。
まだまだ脆弱な私ではありますが、それでも
自分が大地に仁王立ちしたような感じです。
一方憲雄氏は、
当時のモーレツな会社、
低賃金と劣悪な長時間残業、おまけに恣意的な人事管理、という
会社から、
組合を立ち上げ、
人間回復の戦いをしました。
そして
インテージは、
自由に発言できること、
社員を大切にすること、
男女差別撤廃への強い意志をもつ会社へと
なりました。
最終的には私は、
やるなら存分にやれ、と、
その背中を押しました。

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