憲雄氏の母校一橋大学 OB会会報に、入学式の祝辞が載っており、
中でもゲストである新井紀子氏(国立情報学研究所教授)の祝辞が素晴らしい。
要約すると新井氏自身の大学生活での二人の師のエピソードが語られています。
一人は西洋史を教えてくれた阿部謹也先生で、
とっぱなの講義から、
「あなたたちは、歴史や小説や大河ドラマを見て、
歴史とはそんなものだと思っているかもしれませんが、
あれは歴史ではありません。」と、
ぶち込まれる!!
更には、
「あなたたちは、歴史上、恋愛というものがいつ始まったか知っていますか?」と、
追撃を受ける!
恋愛という概念が昔からのあったとは限らな〜い…笑!
つまり、歴史から学ぶ、という事は、そんな安直な事ではなく、
膨大な古文書や資料を書き写し、
当時の人々が、何を行動規範にしていたか、
何を蔑視し、何を許せなかったのかを、ひとつずつ読み解いてゆく。
歴史のそれぞれの時代の中で、文字にされていない常識を読み解き、
そこに生まれている概念や観念や共同幻想を開いてゆく。
それはまさにひっそりとした講義の中で、
日の当たらない校舎や図書室で、
日々コツコツと積み上げていく研究であり、
歴史の中の、真実、戦争、平和、目標、信頼、合理性、努力…e tc…すべてが、
過去から現代における中での自然物ではなく、
どこかの時代で生み出された
人工物であったということです。
つまり今、私達の頭の中に、
いかにも
常識的或いは普遍的に語られ記述されている事すべてが
人間が作り出したものであるのです。
社会常識も法も、迷信も科学もスピリチュアルも、その他すべての概念、観念は、
人工物である、という事です。
まずは、自分の頭の中の、既成観念を、
ぶっ壊せ、という事ですね。
そしてもう一人の彼女の恩師が微積分の 松坂和夫教授の講義であったとの事です。
そう講義に出会い、数学が苦手であった新井氏が数学に開眼し、
やがては「ロボットは東大に入れるか」という、世界最先端のA Iロボットプロジェクトのディレクターとして活躍されます。
また、機会があったら、松坂先生の数学の講義の素晴らしさを、書きます。
長くなったので、本日はここまでとしますが、
最後に阿部謹也先生の嘆きを書きます。
先生が嘆かれたのは、
「学生の知性が下がったのは、明らかに学生生協にコピー機が導入された年からです。
書き写すなどは時間の無駄だ、もっと有効に時間をつかわなければなどという浅はかな合理性が、
結局のところ一番愚かなのです。」
実に実に、その通りだと思います。
脳は面倒なアナログ作業のプロセスの中に落ちている宝石を、
見つけ出すのだと思います。
それが人間の脳の素晴らしさです。
まさにエランビタール

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