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エッセイその6、『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』を読み終えて。

この数十年心を掴まれた文学作品にはなかなか出会えなかった。

今回風元正著『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』(中央公論社)を読み終え、

江藤淳を追想しながら私の中に燻っていた文学への思いが少し解消した。

江藤淳のことは先生という尊称で呼びたい。なぜなら、

私の中で夏目漱石に対する完成度が高く、最も的を得た論評を書いた唯一の人であるからである。

そして江藤淳の自死に私は衝撃を受けた。

奥さんを亡くされた先生は、

いよいよ孤高の淵へと立たれたのだと思った。

江藤氏は文学の高潔さとその散文の美しさの論評を以て,何かが崩壊してゆく戦後の大衆社会と格闘した。

戦後の文学は確かに埴谷雄高や小林秀雄、大江健三郎や三島由紀夫、椎名麟三、島尾敏雄、安倍公房などなど、

挙げたらキリがないほどたくさんの錚々たる才能の作家を産み出した。

しかし生み出しながらも有る時から文学世界も次第に世俗化や大衆化が進み、

現代においてはいよいよ文学界そのものが通俗的となってしまった。

文学は散文の美しさを失い、更には

文学を以て高潔なる光を仰ぐ世界も

失せてしまった。

本当に残念だが、

文学は大衆世界にまみれながらなんともスケールの小さいチャチな「私の世界の周辺」を描くものへと転落してしまった気がする。

そこに常に文学界に厳しい論評を投じてきた江藤淳の絶望があり故の、

自死があるのではないかと、私は思う。

同じように思想家西部邁氏も大衆への絶望が、

氏を自死へと誘った因があるように思う。

この二人はいみじくも左翼から右翼へと転向したように言われているが、右とか左とか、そんなチャチなものではない。

常に戦後の大衆社会での日本と日本人への警鐘を鳴らしてきたのだ。

実は私自身もまた、若い頃と違い、

いよいよ何もかもがフラット化し、

凡庸次元へと大衆化する今の時代が嫌でたまらなく、

絶望感と葛藤していたのですが。

しかし今回「江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか」を読み終え、

明らかに、江藤淳や西部氏とは違う視点の自分がいることに気がついた。

少なくとも私はまだ絶望しないで頑張ろう。

そしてもう少し頑張れば、この先にもっと何かが見えてくるかもしれないと言う、

希求に近いものだ。

それはドストエフスキーの描くロシア正教の長老ゾシマの

「神が愛した民衆を愛してください」というこの一行が、

私の喉元に刺さって抜けないのだ。

私は考え続けた。

文学の観点からだけでなく、脳科学の観点からも、 

人間とは何か社会とはそして文学とは何かを、

考え続けた。そして

今少しずつ見えてきたのは、

吉本隆明氏が指摘したように、

江藤先生も西部氏も、

人間や文学を⭕️聖化、或いは理想化しすぎたのではないか、ということである、

そして私も、です。

考えてみれば、

文学者だけが高邁かというと、そうではない。

大衆もインテリも、

たかが知れた人間であり、私自信も同じようにたかが知れた人間なのである。

そして漱石は大衆の気まぐれを承知した上で、

人間が自分の自我を引き受けもがきながら生き、

その先に小さな光があることを書いた。

ドストエフスキーも漱石も、

その小さな光を見ながら人間への愛を書いた。

うっかりすると私も江藤先生や西部氏同様に、絶望地獄に陥るところであった。

今回明白になったのは、

私は残りの人生を、

社会の底の底に張り付いて頑張っている人々と意識を合わせて生きようと思っている自分がいることだ。

そう言う人々が私にエネルギーをくれると、そう思っている。

時代も社会も,その指標が見えないまま混沌の中へと入り込んでいる。

その中で人々はどう生きるのか。

その手探りを文学がどう描けるのか。

宿題は大きい。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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