もうずーっと言われ続けているのが、若者達の個人主義と他者への無関心です。
企業や集団に属することを嫌い、
この現象の根にも、
日本の文化と日本人のアイデンティティの崩壊があります。
つまり日本社会の中にあった,日本人の無意識を形成していた、
集団によって、お互いを助け合う、という繋がりの文化が、消えてしまったからです。
そしてそれに輪をかけたのが、
日本の教育の短絡な学歴志向と受験戦争です。
受験という
既に答えのあるものを学習させるという陳腐。
そして人間はさまざまなものが混ざり合ってその人間性を成立させているのに、
学校の成績という数値で、計られ、価値づけされる、という、
私に言わせれば、非人間的な扱い。
脳がさまざまに体験学習する中学、高校時代,
悪くすると、頭の柔らかい小学生時代さえも、受験勉強に費やし、
さらには子供達を競争させてしまうという社会です。
そういう限定的な囲いの中で、
大事な青春時代を過ごしてしまう若者達が、
ストレスと虚無感に陥ってしまうのは当たり前です。
なぜ虚無に陥るからというと、
そこには、自分の主体が、不在だからです。
更に彼らが進む社会は、
彼らに学校成績を要求したと同様に、
数値や効率や業績がものさしになってしまっている、
非人間的,資本主義の企業社会です。
※勿論人間性を大事にする企業もたくさんありますよ。
そこで果たして、自分の居場所や自分が所属する意味や価値があるのか?
それなら、
どこにも所属しないで、時間に縛られず、
自分の小さな世界のみと向き合って生きた方がいい、という現象が起きてしまいました。
つまり、国とか、社会とか、更には
家や家庭からも、離れたところにいた方が、自分らしく生きれる。
それが若者の、個々の分断化へと進行してしまいました。
アニメや映画やゲームという包括的世界はあるけれど、
それが終わったらまた、
個々の分断されたケース(自分の内的世界)の中に帰っていくしかない。
どうしたらいいのか。
若者の虚無が蔓延する世の中が、
どうしたら、活気がもどり、
彼らが自分の居場所と、それぞれの存在意義を回復するのか。
ここも出直していかないといけませんね。
私は,人間が丸ごと受けいられる。
つまり、数値や業績だけではなく、
数値や業績だけでは測れない、
人間のユニークさや、面白さや、優しさが、
ちやーんと受けいられる社会。
そしてそういうごった煮のような社会にこそ、
思いがけないポテンシャルが潜んでいると思います。
短絡的な数値や効率で,規格化しない文化圏を持つ社会。
そういうスケールを取り戻すことが、
これからの時代課題のように、
思います。

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