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人はなぜ生きるのか 4、すべてを超越しようとした宮沢賢治。

宮沢賢治だけじゃないよ、

私もしょっちゅうこの世から逃げ出したくなる。

だから賢治がどんなに苦しかったかが、わかる。

また言葉を紡ぐ人間として、

自分の言葉がなかなか理解されない事の苦しさも、わかる。

それは読み手が、賢治と同じくらいの教養を持っていないと、なかなか伝わらないのです。

だからこそ、

自分の言葉の理解者である親友、

保坂嘉内に去られた賢治の孤独も悲しみも、

深かったと思います。

そして、唯一の味方であったトシも失ってました。

しかしそこからよく立ち上がりましたねー。

それができたのは、花巻農学校があったからだと、私は思います。

嘉内との絶縁もトシとの別れも、賢治が崩れ落ち無かったのは、

農学校の存在が大きいかったと、

私は考えています。

少なくとも花巻農学校時代の作品には、まだ溌剌とした賢治がいますから。

そして「春と修羅」さらには「注文の多い料理店」と、

賢治がひとつの試練を乗り越え、

さらに自分を透き通らせながら、

それらの作品が書かれていきました。

ただやっぱりいわゆるトルストイ志向は治ってはおらず、

その純粋性のまま、そして

まだ⭕️自分を啓蒙者の位置に置いたまま、

理想を求めて、

羅須地人協会を始めてしまいました。

ここからまた、

第二試練が賢治の前に立ちはだかります。

それは拙著「拝啓宮沢賢治さま」で書きましたから、ここでは省略します。

初めて「銀河鉄道の夜」を読んだ時私は、

世の中の評判とは反対に、何て暗い童話だろうか、と思いました。

天才賢治の筆力と表現描写が優れている為に、

宇宙や、未来志向と勘違いされそうですが、

私の目には自己葬祭の小説のように思えました。

それでよくよく調べてみると、

この童話は、4回も書き直されている事がわかりました。

そして第一稿の自由でイキイキとした賢治の奔放さや躍動が,書き直すたびに、

だんだんと消えていきます。

最後の第稿四塙は、たしかに小説としては整っていきましたが、

賢治の奔放性や躍動も高揚もユーモアも消えてしまいました。

それが何を意味するのか。

     ◯

もーだーれもいなかったのですよ、

賢治の世界を理解者できる人間が。

だーれも、いなかった,そして、

だーれも、

分からなかったのですよ。

その孤立と孤高の世界を。

その孤立と孤独を賢治がどのように解決しようとしたのか。

そして、

なぜ賢治がキリスト教の救いの世界に行かなかったか。

例えば、銀河鉄道の夜でも、

汽車は、十字架の前を素通りしていきましたね。

つまり、

イエスの教えのように、

隣人を愛し、和解しなさい、ならば、

貴方も愛され,受け入れられるであろうという教えが、

賢治の場合リアリティをもたず、

賢治は到底自分が愛され,受け入れらるとは思えなかった,と思います。

そんな中で自分で自分を救い上げるには、

法華経の教えのように、

????個人で悟りを開き、

すべてを

⭕️超越することしか、

無かったのではないか、と

私は考えます。

そのことを考えると、

最後の手紙で、これまでの自分の世界は、蜃気楼のようなものという賢治の言葉が凄みを持ちます。

この言葉の意味や背景を思うと、

もー全部あきらめたなぁーとも思います。

あきらめたと、言葉にすれば簡単ですが、

人間、そうそうあきらめられるものではありません。

実際は、脳の記憶がフラッシュバックしたり、迷いや感情の昂りという煩悩と、

それを全否定して達観しようと思う自己否定の覚醒の間を、 

行ったり来たりと葛藤し続けたと思います。

辛かったでしょうねー。

あの「空晴れ渡る」までの道のりが、

いかに心理的格闘の日々であったかと、

思います。

そう思うとね、 

賢治が神格化されるなか、私くらいは、

その????人間宮沢賢治の、

孤独と駿山の道を、

書いておこう,と、

思ったのです。

おそらく深い悲しみと、激しい怒りの淵を、ヨロヨロと歩き、

考え続けたのだろうと、

思います。

人はなぜ生きるのか。

自分はなぜ生きるのか。

それを手探りながら、

自分の為ではなく、

他者の為の、その出口と、光を、

賢治は探し続けたと、

思います。

写真は賢治の手帳,第一ページに書かれていた、

「當知是処 即是道場 諸仏於此 得三菩提」の文字です。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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