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未来への思索、その1、序

ウクライナとロシアの戦争も、侵略者、悪のプーチン、被害者のウクライナという風な単純な話ではない。

イスラエルと、パレスチナ及びアラブ,イスラム圏との対立も、

トランプ政権の登場も、西洋の衰退、そして、

日本の政治と経済の劣化も、

おおきな歴史の流れの中で捉えなければ、

何も見えて来ない。

ただ目の前の混乱があるだけである。

その最も本質的なことに目を向けないかぎり、

🔴未来は探りようもない。

今私達は資本主義の崩壊と時代が崩壊しかねないおおきな問題の前で,

立ち尽くしている。

そんな中でやっと私に見えてきたことがある。

それは、私が人生を尽くしながら考え,探し求めてきたことが、

漸く分かってきたのである。

そしてそれは、次の時代においての人間の、大いなる課題であり、

答えになると思う。

それは人間にとって

🔴「心」とは何か、

また、人間にとって

🔴「宗教」とは何か、である。

これだけ書くと、人々はガッカリして、

何を今更、古臭い、或るいは、

宗教なんて胡散臭い,と

反応するかもしれない。

いや,きっとそう思うと思いますよ。しかし、

この間、

人間が資本主義の「金」を得る為に捨ててきたのが、

人間の「心」じゃないの?

そして、なぜ人間は宗教というものを創造したか,

についての考察や思索を、その結論も、まだ出していないまま、

科学優先、利便性優先を生きてしまったんじゃないのか?

A Iの時代だからこそ,人間の「心」とは何かを考えなければならなくなり。

その時人間の「心」の不全感を埋めるには,

なぜ人間が「宗教」を編み出したかを、相対化する必要がある。

もう通俗的なことについては、私としては、書き尽くしたように思う。

だから次は、

「心」とは何か、

「宗教」とは何か、についての、

考察、思索をしたいと考えている。

極めて個人的なその考察が、

誰かの役に立てれば,嬉しいです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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