YouTubeなんかを見ていると,やたらにポピュリズム云々がでてくる。
しかし私からすると,たいていが、わかってないなぁーと思うものばかりだ。
何が分かってないかと言うと、現在の政治の崩壊の原因は、ポピュリズムではないと、私は考えるからだ。
昔といっちゃなんだが、もっと考察力の深い人間がたくさんいた気がするが。
実は私も以前は、大衆が大嫌いで、いつも集団をよけて生きてきた。
しかし、ある時から私は逆に大衆の中に潜むプリミティブなエネルギーやある種の正しさというか、ひた向きさに気づき始めた。
つまり目が覚めたんだね…笑
それは土のついた大根のような、掘り立てのようなジャガイモのような、
決して洗練されたものではないが、しかし、まだ土の温度や水分がそのままある、
いわゆる調理されていない原始的なエネルギーである。
この大衆の根源にある正統性というか、ある種の聖なるものを
わかっていたのは、
近代論壇で私が思いつくのは亡くなった吉本隆明さんくらいかも知れないし、
勿論ドストエフスキーも、おそらく夏目漱石も、正岡子規や芥川龍之介も分かっており、
漱石は大衆とは距離を取りながらも、どこか彼らを愛していたし、
龍之介は、まさにわかったからこそ、大衆の厳しい現実の前でへし折れてしまったのだけれど。
また論壇でも、西部邁さんの大衆論は素晴らしい慧眼を持ったおられたし、私もたくさん共感したが、最後の一点だけが私とはすれ違っていた。
多分西部さんが自死されたのは大衆社会に対しての絶望感から逃れられなかったのではないか、と思う。
私もある時点までは絶望していたからね、わかる。
最後の一点とは、大衆の中に潜むある種の聖なる領域です。
これは凡庸な作家には見えてこない。
ドストエフスキーも散々苦しんだが、最後にはそれを見つけ、そこに眼差しの焦点を当てて、
カラマーゾフの兄弟を書き上げて死んだ。
そんな偉人たちに私なんぞは遠く及ばないが、
歳が深まるにつれ、漸くそれが見えてきた。
私流にいえばやっと眼の水晶体の曇りがとれ、清々しく人間が透明に見えて来たというところかなー。
そして今経済が失速するなか、
もし、大衆の中にあるダイナミズムが経済のエネルギーとして開花し出したらきっと、凄いものになるだろうと思うし、
それはまさに立花隆さんが書き残しているように、
敗戦後、国家が崩壊し、行政が全く機能せず、あらゆる産業を喪失した日本の焼野原に現れた、
国家という規制から解放されて自由で奔放な地下エネルギーとしての大衆力である。
それはまるで坊主地獄のように沸々と湧き出して、
草の根の経済として、日本の民衆が自力で生活(経済)を、蘇らせていった。
現在の日本のインテリ達,その多くは受験脳で、政治家、官吏,学者を含めて、
上からの改革しか,思いつかないらしい。
上からの制度改革ばかりを論じているが、そんなもんクソ喰らえである。
だから、テクノ封建制とか言い出している。
テクノ封建制とは、これからの経済は、高度テクノロジーで成功した一部の人間、
たとえばGAFAのようなヤツらに支配されて、
それ以外の人間が奴隷化するというようなもので、
確かに一部はそうなるかも知れないし、私たちはアマゾンに支配されていることは、そうでもある。
しかし、だからこそ私は,そういう
凡庸な発想の埒外にある経済を探したいのですよ。
それは下から沸き起こる民衆のエネルギーによる経済の復興であり、
立花隆氏が書き残したように、
敗戦から立ち上がり世界有数の大国になった日本と日本人の姿です。
震災と津波から復興する日本の人々の底力の経済を、
再び探したいのです。
つづく。

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